2007年11月28日

あした、はまべを

 定時前に打ち合わせをしていたから、デスクに戻るともうほとんどの人が帰ってしまっていた。泉水さんのPCの画面も消えていて――きっとまたあのベンチでタバコを吸って
いるんだろうな、と想像してみた。

 はたして、0番ホームの自販機でカフェオレを買って左向こうを見たら、見覚えのあるカバンがあった。もう一回、財布を出した。

 近づいていくと、泉水さんの口元は、歌っているように見えた。その歌は、小学生くらいの時に習ったような記憶があった。


 初めてここに来た時よりも確実に辺りは暗くなっていた。聞いた通り、夜に近い空の下では、蛍光灯の白いラインが黒い石のホームにまっすぐ引かれていた。もしもこれが揺れていたら波打つ浜辺に見えなくもなかったかもしれない。そんなことを考えながらぐるりと周りこんだものだから、泉水さんの正面に立ってしまっていた。気づいた泉水さんに、ぺこりと頭を下げる。
「お疲れ様です。……これ、いりますか? ロイヤルミルクティ、買ってみました」
「あ、ありがとう」

「さっきのって、」
 僕はここで歌の題名を思い出した。
「浜辺の歌、ですよね」
「あら……聴かれてましたか」
 隣のカバンをよけてもらって座りながら手を広げた。
「思わず、こう、ぐるっと回ってきてしまいました――波打ち際を想像しながら」
 そしたら、ぱっとふり向かれた。煙が、後から追いかけてくる。
「向井君もそう思った?!……浜辺みたいだなんて、誰にも言えないと思ってました」

 泉水さんは恥ずかしそうに灰を捨てていたので、「そんなことないですよ」とすぐに返事した。泉水さんははっとしてこっちを見た。目があった。
 泉水さんは目をぎゅっとつむって、また前を向いた。……しばらくホームのアナウンスや電車の音を、ふたりで聞いていた。

 だいぶん暗くなった0番ホームの向こうが、ごちゃごちゃとした海になって、貨物列車の行く音を波におきかえればここが砂浜のベンチに見えるかも、と言ってあげたかった。
「あ〜、ここが砂浜だったらなぁ、夕方の海で遊んだのになぁ」
 だから泉水さんの言葉にも、「ここのどこが海なんですか」なんて言わなかった。
「そういえば。浜辺の歌の“あした”って、“早朝”だって知ってました?」
 泉水さんは、何か話題をずっと探してくれていたようだった。タバコの先とミルクティの缶を交互に見ながら、足をコツコツさせていた。

 泉水さんと別れた頃には、すっかり暗くなってしまっていた。あっ今日は金曜日だったと気づいて、ちゃんと飯を食いに行ってゆっくり話をした方が良かったですか? というメールをすぐ送った。また、機会があればという返事が、寝る前に返ってきた。
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2007年11月25日

6:50PM、京都駅

 改札を通って、すぐ右手のエスカレーターには乗らない。疲れきった同類にまぎれたくないし、それに、カフェオレの缶を買うからだ。

 京都駅の0番ホームは、特急に乗る旅行客か出張風の姿が多い。少し歩けば喫煙コーナーがあって、やにくさい人も混ざっている。手前の方は二、三人が寄ってたかってどれにするか決めていたので、ひとつ向こう側に回ることにした。

 用意していた120円を入れて、茶色の缶のボタンに触れようとしたら――ばたばたばたと右側から女性が走ってきた。

「ロイヤルミルクティで!」

「……はい?」

 たしかにその女の人は、ふたつ左にある青白い缶の名を告げた。勢いでそっちを押してしまう。ガタンとこぼれた音をきいて、「ありがとう向井(むかい)君」とほほえみかけてきたのは、庶務の泉水(いずみ)さんだった。

「よく僕だってわかりましたね」
 すごい、と言いかけると、さっと小さなポーチを出して振られた。
「タバコ吸うから、いつもここに来るんですよ。おとといくらいから見つけてました」

 僕は泉水さんから200円を受けとった。あわてて財布を出したら、泉水さんは自販機を指さす。
「カフェオレ、買わないんですか?」
 確かに。僕は苦笑って、もともと買う方を選びなおして、おつりを渡した。

「もうちょっと暗くなったら、そこの黒いところに、蛍光灯が写りこむんですよ」

 泉水さんに着いて喫煙コーナーの方まで歩いた。0番ホームは日本で一番長いとかいう話はどこかできいていたが、ここから電車に乗ったことはないので、あらためてこんなに奥まであるのかと気づいた。黒い石造りのホームがせり出していて、高級な感じがした。

 後ろを向くと、ホームの時計は6時50分をさしていた。まだ空は明るく、屋根や陸橋でコの字型に切り取られたように見えた。二つほど向こうのホームには銀色の新快速が入って来るところだった。
「これからあっという間に日が短くなりそうですね」
「そうですよね……だいぶ涼しくなりましたよね」

 少しの間、僕は泉水さんと会社のことを話して帰った。課も違うし、昼間はほとんど話していなかったから、いろいろとネタは尽きなかった。それから週に1、2回、帰りに姿を見かけた時は、10分か20分くらいは話をするようになっていった。
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