2007年12月05日

粉雪とシアーブルー

 12月に入ってから、泉水さんを会社でも見ないなと思ったら、行き先を示すホワイトボードに『有休』のマグネットが貼られていた。そりゃ、たまには休むだろう、と目をそらしかけたら、その後にマーカーで“〜1/8まで”と続いていて、思わずあっと声をあげてかけ寄ってしまった。その姿を山名課長に見られていた。


「3課の向井君、だったけ。……泉水さんのこと?」

「あ、いや、あ、はい。長い休暇なんですね。旅行でも行ってるんですか?」
「……ああそうか、君は3課だから、知らないか」

 ふっと、僕はとんでもない速さで“知らないか”という言葉に反応してふり向いていた、一瞬だけこの人を京都駅で見たことも思い出して。

――山名課長はかなり驚いたようで、他の人には聞こえないように書類で「壁」を作って、その理由を教えてくれた。




「入院してるんだよ」






 仕事が終わって、ダッシュで0番ホームのベンチに向かった。もちろん泉水さんはいない。自販機までも、偶然かどうか、ミルクティの下で売り切れランプを照らしていた。

「内臓に小さな腫瘍(しゅよう)ができてたんだって。内視鏡手術とかで楽に取れるらしくて、2週間くらいで退院できるらしい。俺も話を聞いたときは、まさかと思ったよ」



 あの日、泉水さんは、山名課長にきっと病気のことを話していたんだ。――なんであの時、勝手に先に帰ってしまったんだろうと何度も何度もため息をついた。


 大階段の方は、もうすでにクリスマスの飾りつけができあがっていて、それっぽい曲が鈴の音とからんで鳴り響いていた。――改札を抜けてここまでくるともう届かなかった。





 月明かりさえホームに映りこみそうな、冷たい夜だった。強い寒波がきているらしく、ごうごうと風がうなって通っていった。いくつも向こうで快速が通り、特急が手前に寄ってまた去ってゆく。僕はベンチにずっといた。飲みさしのホットのカフェオレがすっかり冷め切って缶のふちが冷たくなっても――全然、そこを立ち去れないでいた。



 携帯を開いて、残していた泉水さんからのメールに、返信で……だめもとでメールを打ってみることにした。タイトルも、だいぶ迷ったけど、「お大事に」とした。



――入院してるって山名課長にきいてびっくりしました。お大事に。――



 もっと、何か伝えたかった。でも何からどう言うか、最後に見た泉水さんの――口をつむいだ、悲しそうな顔に向かって、言葉が出ない。下(↓)ばかり押していた。



――浜辺は寒いです(>_<)――




 メールの下の方にそれだけ入れて、機能、送信、と押した。



    *



 朝、電車が二条を出た時に電話が震えた。どうせ電器屋の宣伝メールだろうと、昼休みに見てみたら、“Re:お大事に”という文字が見えてどっと体中の血が逆流した。あわてすぎて「切る」を押してしまう。よく間違えて消さなかったものだ。


 泉水さんからのメールは、帰りに0番ホームでちゃんと読み返した。


――メールありがとう。あさって手術です。取るのはすぐなんですが、それから一週間くらいいないといけないらしいです(>_<) まあ、がんばります――


 カフェオレをすすって、じっと画面を見ていたら、メールの終わりのマークがないことに気づいた。“下”に送ってもまだ出てこない。――口の中にカフェオレの甘さを残したまま、ひたすらカチカチカチと“下”を押し続けた。


――ほんとの冬の海はもっと寒いですよ。――


「あっ」

 僕は白い息を吐いていた。その先も少しメールは続いていて――僕はここでそれが読めてよかったと思った。ありがとう泉水さん、とつぶやいていた。



   *


 久しぶりに無印でちゃんとした封筒と便せんを買って、会社のこととか今年も大階段には大きなもみの木があるとか書いて、有名人のブログを印刷したやつとか、あと“浜辺の歌”で検索したらいろんな情報が出てきてそのページもとか、いろいろな紙を折り込んで、“こんなコトしかできなくてすみません。早く、良くなって下さい”と最後に書き足してきちきちに詰めた。駅に入る前に「速達で」と中央郵便局の時間外窓口に持って行ったらまだ中が開いているからそっちで、と言われ、もう一度中で「速達で」と言ったら50グラムを超えているのでこの封筒でも定形外扱いになるんで410円です、と言われた。




 自動ドアを出たら、ぶわりと寒気が流れこんできた。白いものが混ざってて、一歩踏み出して見上げると、右は伊勢丹から左は関電のビルまで、空気がまだら模様になっていた。空の色は、地上から照らされたシアーブルー。とても夜空には見えない。



 駅ビルの方から、エンヤの有名な曲が響いていた。泉水さんなら曲名を知っているだろう。――泉水さん。ふいに、名前が出てきた。立ち止まった。雨の日だったら傘をささない男を不思議がったろうけど、この雪なら、誰も気づかずに通り過ぎ、すれ違うだけで。



――泉水さん。雪です。


――泉水さん。速達たぶんあさってには届きます。



――泉水さん。





――会いたい、です。






 こんなにも誰かの、何かを願いながら、名前を呼ぶなんて、はじめてだった……。
 
 
 
タグ:2005

2007年12月02日

君の優しさの影

「お先に失礼します」というメールが泉水さんから届いていて、僕もCDを買いにポルタに寄ったから、今日はあそこで会うことはないだろうと思いこんでいた。いつも通り0番ホームでカフェオレを買い、左を向いて“確認”してから、ああ癖になってるなとひとりで笑いかけた、が――見覚えのあるカバンにぽかんとして、さらに泉水さんの隣にいる男の姿に息が詰まった。

 自販機の後ろから待っていた人にもせかされ、あわてて柱に隠れた――隠れる必要があるのかはどうとして。相手は泉水さんの課の山名課長だった。泉水さんとあいさつを交わし、彼女は奥でタバコを吸うというしぐさを見せ――課長は地下への階段を下りていった。

 泉水さんもそのまま奥へ消えてしまうだろうと予想していたのに、彼女はじっとこちらを見たまま、「向井君」と口を動かした。あっけなく見つかっていた。おいでよ、と手で合図されたが、すぐに近づく気になれない。そうしたら、カバンを置いたまま走り寄られ、「ロイヤルミルクティでよろしくね」とだけ言って戻られた。小銭は120円ちょうどしか持ってなくて……ベンチまでが、やけに遠く、重ったるく感じた。


「今の……山名課長でしたよね」
「そう。たまに帰りにいっしょになって。まあ、今日は相談があったんですけど」
「ああ、そうですか」

 たまに、いっしょに。――泉水さんのタバコの煙が、急にうっとうしくちらついてきた。ここは泉水さんにとって、ゆっくり休めるとっておきの場所なのか、それともただタバコを吸うだけのところかが、わからなくなった。“浜辺”だとか言っていた、のに。


 そのしかめっ面を見てか、泉水さんは何かと会話をつなごうとしていたが、僕はあまり話をきかなかった。

「ここ、浜辺の歌みたいに朝早く来たらどんな感じだと……」
「さあ……寒いんじゃないですか?」

 あまり長居しないほうが良さそうだ。今日は小銭が無いので、ケチだけどお金を返してもらおうと思った。

「あの、今日の分なんですけど、ミルクティの」
「年明け……」
「……はい? 何が?」

 泉水さんはもごもごとしていたが、日が短くなってきているからか、暗くてわからず、聞き直した。ついでに、「まさか、僕にいつもおごってもらおうとしてません?」、と皮肉った。泉水さんはびくっとして、肩を縮めた。

「山名課長におごってもらえばよかったんじゃないですか? そもそも、何を話してたんですか」
「あの、それは……」
「別にここでなくてもいいのに。僕が来るかもしれないってわかってるのに。ああ、僕からお茶をおごってもらう為に、じゃないでしょうね、」
「……そんなことないです、ただ……」

――泉水さんは目をふせていた。火をつけていない二本目のタバコの先が、しなびて落ちる。やっぱり今日は帰ろう。僕は立ち上がった。泉水さんはあわててカバンを開けているけど、「もういいです」と後ろを向いたまま吐くように告げて、いちもくさんにエスカレーターへ早歩きで去った。


 何が、砂浜だ。ここはただの駅だ。誰もが海に来るような格好じゃない。ここが砂浜なわけがない。ここはただの駅だ。ホームだ。――灰色に塗られた床を、ひたすら蹴った。



 しばらく、0番ホームには寄らなかった。カフェオレも、あの青白い缶を見るのが嫌で、コンビニで買った。会社で書類を出す時は、別の庶務の人に頼んだ。会社から帰る頃には、もう外は真っ暗になっていた。京都駅は、ただ通るだけの場所になりかけていた。
タグ:2005