2008年08月16日

第5話:最後の太陽

誰かがリクエストをかけたらしく、季節にぴったりの『ひまわり娘』(*)が、昼下がりの空に響いた。ゆるやかな風が、日を照らし返す葉をくすぐる。そして、花にも。
−−そう、”向日葵”にも。花壇のそれらは、今まさに太陽に向かって開いていた。

おせじにも太い首や、大きな手のひら、とまではいかなかったけれども−−花なんてここ数年咲いたこともなかった”ひまわり台”に、たしかに、たしかに、しっかりと黄色が生まれていた−−。


にのべ駅長は、周りに水を打ちながら、じゅわりと立ちのぼるしんきろう(蜃気楼)に目をやった。ここまでは毎年同じことなのだが、ゆらいだ空気の向こうに、あざやかに並ぶ向日葵がとてもまぶしいところは違った。根づかないだろうとあきらめていた春が、なつかしい。


ここ数日、駅の中がちょっとさわがしいことも違った。待合場所の壁一面に、保育園の子供が描いた、駅舎やら電車やら、ヒマワリやらの画用紙が貼りめぐらされていた。お世話になりましたありがとうございましたと、お礼のお菓子を持ってくるおばちゃんもいて、テーブルとポットを置いてみんなで食べてもらえるようにした。入場券を買いに来る人も多くて、たくさんの固い板紙に切りこみを入れた(*)。

でも、電車に乗り降りする人の数までは変わらず、ここも21時頃にもなれば、ひっそりと静まるのだった。
疲れたあごを伸ばした。あんまり考えたくなかったけど−−この駅が、あと何日で終わりだとかを思うと、何度も鍵をかけたか見に行こうとしてしまった。


西の経済を支える、有数の大都市『オオサカセンター』。コクテツ電気鉄道株式会社が敷設した各駅停車で約40分、『ひまわり台』はここからたくさんの人々を送り迎えした。

ところが約20年前、『ひまわり台』の奥手にある森と山が削られ、大型団地が次々と建ち並びだした。コクテツ社も他の私鉄各社と同様に、『ニュータウン』駅を開業。さらに、『ひまわり台』に停車しない快速電車や、『ひまわり台』を経由しない線路を引いて『超新快速』を運転した。『オオサカセンター』まで約30分。魅力的な街に、大型のショッピング・センターも続々誕生した。この頃から、『ひまわり台』との人口バランスは逆転をはじめる。

『ひまわり台』周辺の住民ですら、自転車やバイクで『ニュータウン』やひとつ東側の『桜丘』駅から通勤するようになってしまった。『ひまわり台』の人気の減り方をあらわすかのように、花壇の花は、いつの間にかすべて枯れ無くなってしまった。

そして、今年の春。コクテツ社は、『ひまわり台』の閉業を決めたのである。


ずっと『ひまわり台駅』に勤め続けた「にのべ駅長」は、誕生日までのしばらくだけ、ニュータウン駅の相談役として窓際の席に座る。無遅刻無欠席を表彰する、ピカピカの金バッチをもらったけれど、まだ胸にはつけていない。

クリーニング屋のおっちゃんが、明日着る制服を届けに来てくれた。向日葵たちが笑って迎え、手を振って見送った。とろとろと軽ワゴン車が行ったあと、にのべ駅長はふうと、いっしょに過ごしてきた壁にもたれてみた。

               *  *  *

その日は、電車好きなおじさんたちが、カメラと三脚を持って続々と駅舎に乗り込んできた。ホームにがちゃりとそれを組み立てて、ガタゴト入ってくる電車をバシャバシャと撮り始める。

「−−んあ?」
明け方の空が夏らしい色に変わり、朝の仕事を一通り済ませてから水まきをしようと花壇に向かったにのべ駅長は、「こども」たちが倍々に増えていることに気づいた。

駅に来る人来る人がその”花”を持っているのだ。電車に乗らないでも、ひまわり台駅を通りかかる人が一つ、また一つと、向日葵を捧げてゆく。
やがて、駅の入り口をうめつくし、ホームにもプランターが置かれた。ここに屋根があったなら、ほんとうに花のトンネルも作られたかもしれないくらいだった。花のにおいが、セミがじりじり鳴く時間ととけあっていった。

「まさかこんなんになるとは−−ヒマワリだらけや」
 強い日ざしすらも、やわらかく駅舎に届く。駄菓子屋のおばちゃんがお茶を入れてくれた。
「みんな、こっそり育てとったみたいやねぇ。『ニュータウン』の改札前でも、種を配ってたて、娘が言うとったわ」
「なんと、……、」
 にのべ駅長は、せんべいが詰まりそうになって、その先を言えなかった。


駅舎の窓枠が甘いオレンジ色にとろり溶けてゆく。
ニュータウン駅と桜丘駅からやってくるイチマルサン系電車は、『ありがとうひまわり台駅』というヘッドマーク(*)をかけて、黄色い笑顔の絶えない駅に入ってくる。
ブレーキの音が、風に刻まれる。

ひまわり台駅は、いま。
あでやかに向日葵をまとう本当の景色を、取り戻した。

               *  *  *

 21時35分。
ニュータウン駅からぴたり30秒と早くも遅くもなく電車が到着した。にのべ駅長の手は、変わることなく−−『最終電車』を、見送った。

 駅長室に戻り、日誌を書いてから、すっかり古くなった椅子にぎしりと身体をまかせた。駅のシャッターを下ろすまであと何分か、を壁の時計で毎日繰り返してきたけど、それも、今日で最後。−−ほんま、よう喋った。ばたばたしとったの−−にのべ駅長は、まどろみそうになって、ゆっくりまばたきをした。


妙ににのべ駅長は顔がつるつるするなと思った。きびすを返すとその足もかろやかで−−あれぇまだこんなに明るかったんかぁ、とつぶやいた声も若々しくはじいてくる。

ホームでは学生や会社員が何人も、まっさらなベンチに座ったりして、イチマルゴ系の電車が来るのを待っている。真っ白な待避線を踏んで遊ぶ子には、あぶないあぶないぞと旗を出す。

こぼれ落ちそうなほどの人と、おはようおはようとあいさつをきりなくしていたら−−朝もやの中から赤いラインの目立つイチマルゴ系が見えて来た。−−あれぇ、なんで朝やねん? それにイチマルゴなんか、今ないぞ?

ああこれは、もうだいぶ前のことを−−思い出してしもてるんや夢見とるみたいに。まだヒマワリもようけ咲いとるし、駅員のタッちゃんもいる。売店のヒロミさんは牛乳ビンを運んどる。−−なつかしいなあ、ほんまなつかしいなあ。


あっという間、やったなあ。
おもろかったなあ。
ああ、待っといてや、イチマルゴ。
もうちょっとだけ、もうちょっとだけ、とまっていてくれい。

停車してくれい。


……時間、止めたってくれい。……



急に、乗客の笑い声がとり巻いてきた。
おっちゃん? 駅長さん? どないしたん?−−のぞきこむ女の子がいる。
ああ大丈夫やで、気いつけて。ホームから落ちんようにして−−と口をぱくぱくさせるけど、ざわめきしか聞こえない。
それは風になり、足もとの雑草を揺らし、−−黄色になった−−。


変な夢はもうすぐ終わって、目が覚めるのだ、とにのべ駅長は感じた。
いや、あかん、まだ職務中や!
はっとして、靴をはき直す。

”ガトン”

はたして、たてつけのすっかり悪くなったガラス戸を押すと、待合場所のほうで2つ3つの人影がゆらいだ。
肩で息をするコクテツ社の制服が近づくと、影たちは向きを変えた。どこかで見たことがあるような、無いような。数え切れない人々をここで送り出し迎え入れてきたから今までずっと。
「あの、駅を閉めますので、すみませんがお客様は−−」と口を開こうとしたら、一番手前にいた女の人が、小さな箱を渡そうとする。

「駅長さん。おつかれさま。ありがとう。−−これ、ラジオをきいてくれたみんなから−−」
「−−は、ハガキ?」
「入り口のヒマワリがな、”満開のとこ見たい”て、あたし言うてたの覚えてへんかなぁ?」

次にコツリと固い音がして、じゃらじゃらとキーホルダーがいっぱいついたピンク色のハンドバックが−−そんなカバンを持った人が近づいてきた。

「駅長さん雨の時はたすかったわ。−−でもこんなええ”いやし”の場所があるんやったら、もっと何べんでも来てたらよかったわぁ」

そして、たくさんの絵を見ていた若い男女は、深々と頭を下げた。
「駅が無くなるまでに、ここを見といてもらいたい思て、連れてきました。−−今度、結婚するんです」

「あ、ああー……
 わざわざ遅くまで、ありがとうございます−−でも、そろそろ、閉めやんとあかんのですわ−−」

さっきの夢のせいで、口元がふらついていた。
昼間、せんべいといっしょに引っかけた言葉の続き−−駅のこと、人のこと、ごたごたしたこと−−自分のこと。
ちょうど、あの奥にある並んだヒマワリの、左から3つ目、うつむきかげんのものと気分が似ている。それをブチリと抜いてしまえば、それともこちらに無理矢理ねじれば、すっきりするかもしれないと、言葉を開こうとした。

よく見れば、右から2番目のやつも、斜め上にそっぽを向いている。となりもそのまた横も、あちこちバラバラ。−−まっすぐ見ていてくれているものなんて、ほとんど無かった−−口がうまく動かせない。

でも、花はちゃんと咲いているのだった。
たまたまここへ持ち寄られるまでにも、どこかで、きれいに、素敵に、咲いていたはず。

にのべ駅長は、ぐるりと向日葵を−−ひとりひとりの「客」のひとみをじっと見て−−、制帽をかぶり直した。
顔をくしゃりと曲げて、この駅のことを覚えていてくれた、また来てくれたひとびとへの気持ちも、嘘をつかずにはっきり、言った。


「みなさん、−−ありがとう−−」


花びらが、わずかな風に、少し動いた。


               *  *  *


翌朝から、コクテツは時間という有利な武器を手にした。

ラッシュ時には10分間隔で超新快速がニュータウン駅を出て、ひまわり台駅からの電車を待ち合わせなくてもよくなった桜丘駅を時速100キロで通過する−−オオサカセンター駅まで、25分あまり。それはどの他社路線よりも、抜き出た速さだった。

たくさんの通勤通学客が、朝の風にしまる鉄筋のニュータウン駅から、今日を始める場所へゆくためニイニイサン系の車体に乗り込む。

どんどん加速する窓辺の風景。
いつからか−−南側の遠くに、毎年夏場になると。
満面に咲き乱れる向日葵の色が、弾丸になろうとする車内からでもはっきり見えるようになった。


かつてそこには。
ひまわり台という、駅があった。



                          <終わり>


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(*)の解説
・『ひまわり娘』:伊藤咲子『ひまわり娘』。作詞:阿久 悠/作曲:Shuki Levy。
・固い紙に切り込みを入れる:ちょっと前の切符は、こんな感じで売ってた。券売機
で買って鋏を入れてもらう→はんこ押してもらう→自動改札機。
・ヘッドマーク:電車の先頭に取り付けるプレート。新型電車の運転開始時・沿線駅
の開業/閉業時、鉄道会社主催イベントの宣伝などを告知するために使う。

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この記事へのコメント
初めまして…と、言っておきます。
以前、騎士道倶楽部でご一緒させて頂いておりました珠影と申します。

この五話までを読んで、五話の途中辺りからうっかり涙してしまいました。
色とか匂いとか音とか、そんなものを感じさせてくれる素敵な物語ですね。

わたしはとても好きです。

拙い感想ですが、この辺りにて。


かづき
Posted by かづき at 2008年10月01日 11:40
コメントありがとうございます。
お返事、遅くなり申し訳ありません。
騎士道倶楽部ではこちらこそお世話になりました。
あの時連作していた小説も、夏のイメージが少しふくまれています。
Posted by なみかわ at 2008年11月11日 22:37
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