2013年01月11日

タイムトラベラー(時間旅行者)

  僕はもうずっと前から、自分は『運命の女神』がほほえんでくれる場所を持っていないことを知っていた。
 とくに頭がいいというわけでもない。男友達にも嫌がられるほど身の周りを不潔にしている覚えもない。でも、僕は人よりたぶん『運』がないことを知っていた。

 夕日が僕の影を前へ前へと押し伸ばしていた。今日だって本当は、もう少しこの影の短い頃にここを歩いて家に帰れたはずなのだ。
 放課後、当番で掃除をしていて、それほど精魂こめてやっていたわけでもないのに、先生には真面目そうにしていると思われて、じゃあ今日は窓枠の隅、そうだ、そのほこりの詰まっているところも頼むよ、と肩を叩かれてしまった。だから遅くなったのだ。
 こういうのを友達に言わせると、『要領が悪い』らしい。僕は真面目な高校生を演じているわけでもないのに、普通の、ごく普通の人間としか他人の目に映っていないことが、悔しかった。

 長く伸びた影を見つめて、そんなことを考えながら歩いていたら、後ろから車にクラクションでせかされた。道をゆずると、それは狭い道に似合わない黒塗りの車で、辺りに臭い息を吐き散らして前へ走り去った。ちょっと土埃が舞って、僕は立ち止まってせき込んだ。車の音が消えて、ふと顔を上げた時、視界の右のほうに――ちょうど右にも道があって――古そうな商店が現れた。
 曲がり角から覗いて見ても、腐りかけの木の看板が入り口の開いた扉のわきに立てかけてあるだけで、しかもその字も読めないし、『何屋さん』かは、はっきりとわからなかった。二、三歩進んでみると、店の外に、何か小物のような、がらくたみたいな、そんな物が積んであって、『駄菓子屋』みたいなものかもしれない、と思った。
 ポケットに手を入れると、大きい五百円玉がぶつかってきた。
 たまには寄り道をしてもいいか……と、僕はその店に向かって歩きだした。

 店の中は夕方のせいかうす暗く、中に何があるのかもわからなかった。でも、僕がこの店の敷居をまたいだ時、確かにしわがれたおじいさんの声が、
「いらっしゃい、何をおさがしかな?」
と響いた。僕は、『ここ、お菓子屋さんですか』と聞こうとしたら、おじいさんの声はさらに重なってこう響いた。
「何が欲しいのかな?『地位』か、『名声』か?それとも、『力』?『永遠の命』?」
「え……」
 僕は思わず驚きの声をあげていた。店の主人らしい、おじいさんが何を言いたいのかわからなかったからだ。でも、今、確かに『物』じゃない、どんな『もの』が欲しいのか、と言ったはずだ。……しばらく考えて、僕は試しに一つ聞いてみた。
「あの、後悔しないようにするものって、ありますか」
 おじいさんが冗談を言っているのなら、それに乗ってあげた感じで、軽く――叶うことなら叶えてほしい、ささやかな夢ではあったが――。
「あるとも。『やり直す』ものが」

 おじいさんはこう答えた。冗談を一緒に笑ってあげようと崩しかけていた僕の頬は張りつめた。唇が震えて、一度唾を飲み込んだ。まだ震えは止まらない。
「ほ、本当ですか」
「もちろん。おまえさんのいる右の棚の上に、赤いカゴが……」
 僕は足元にあったがらくたを蹴り飛ばしながら、半ば焦って赤いカゴを取った。
「そこに、時計が入っているだろう、それじゃよ」
 カゴの中には、柔らかい赤茶色の布でくるまれた、銀色の懐中時計ただ一つがあった。僕の腕時計と、同じ時間を指していて、正確に動いているようだった。
「その時計を持っていれば、持ち主は、そいつが指す『時間』通りに生きてゆける。
『時間』が狂ったのなら、『巻き戻す』ことだけできる。右側に付いた螺子を……」
 僕はほんの少し螺子を巻いた。周りの音が一瞬止まって、
「その時計を持っていれば、持ち主は、そいつが指す『時間』通りに生きてゆける。
『時間』が狂ったのなら、『巻き戻す』ことだけできる。右側に付いた螺子を……」
 おじいさんの声が繰り返し聞こえた。
「一分分巻けば一分、たくさん巻けばそれだけ『時間』を逆戻りできるから、『やり直し』のできるもの、というわけじゃ。どうかな?」
 僕はどうしてもこの時計を手に入れたくなってきた。いつもは見知らぬ人の意見なんかすぐに信用しないのに、このおじいさんの言うことなら……と思ったのだ。
「これ、ください。いくらですか」
「五百円に、まけておこう。ただし、」
 おじいさんはひと呼吸おいて、
「人生がつまらなくなるやもしれぬ」
と答えた。
 僕は五百円玉を左にあった木机に置いた。
「買います。運を、手に入れてみたいから」
「そうか、くくく……。『時間旅行者』の気分で、楽しんでおいで。くくく……」
 おじいさんは笑っていた。僕は時計を丁寧に包み直して、ありがとうと一言言って、店を後にした。

 掃除を頼まれて、そしておじいさんの『店』に寄っていたから、いつも帰る時間よりも三〇分ほど遅い時間を、銀の時計は指していた。僕は家に入る前に、時計の螺子を一時間巻き戻した。夕暮れの空は少し明るくなり、僕の時計も一時間戻っていた。
「あら、今日は早いのね」
 普段は「もう少し早く帰ってこれないの?」とか、「テスト、どうだったの?」といった、金切り声をあげる母さんが、妙に優しく話しかけてくる。やはり家の中の時計も、ついていたテレビ番組も、一時間前のものだった。
 僕は部屋に入って、扉を閉めてから、押え切れなくなって、大声で笑った。――これが五百円?! なんて安い買い物だろう?――
 そして、止まることなく刻み続けられる、時計の音を聴いているだけで、うきうきしてきた。
 もしかすると、僕はこれから、誰よりも……世界で一番……『運のいい』人間に生まれ変れるかもしれない……。

(やばい、次の数学は実力テストだってのに、全然勉強してないや。
いいや、問題を見てから『戻って』やり直せば、百点が取れる。)
 僕の時間旅行は、時計を手に入れた次の日から始まった。ちょっと自分に不利なことが起こったら、僕はすぐに時間を逆行して、それに遭わないようにしたり、あるいは別の人にそれを押し付けるように仕組んだりした。特にテストでは、ほとんど『二回問題を解いて』百点が取れるようになって、先生達も『秀才になった』僕が多少悪いことをしても、きつく注意をしなくなった。いや、できなくなった。三日ほど前に戻った時に、『三日後の予言』なんてことをして、学校にいるみんなが僕に恐れるようになってしまったからだ。
 誰も注意をしなくなったから、僕は何だってやった。無免許でバイクを乗り回したし、タバコも吸った。酒も飲んだ。競馬で稼いだ。そして、長い時間戻るようになっていた。一番気楽だと思って、『高校生』を何回も繰り返していた。
 友達も、文化祭も、テストも、全部同じだったけど、あの時のような暗い思いをして学校に通う気持ちはなくなっていたので、楽しんで日々を過ごした。
 ところが、何回目からだろうか、友達の視線が冷たくなっているのに気づいた。僕から話しかけなければ、近づいてこなくなった。話をしていても、いやな気分らしいということがすぐにわかった。我慢できなくなって、僕はある日、みんなに聞いた。
「どうして、オレを避けるのさ。オレと友達でいたら、絶対損はさせないぞ」
「……」
 みんなはざわつく。僕を取り囲むようにして、ひそひそ話をはじめる。僕は昔のような思いが急に胸の中でよみがえって、それを振り切るように、大声で叫んだ。
「いいかげんにしろよ!」

「……おかしいよ、」
 か細い女子の声が、僕の叫びで静まりかえった教室に響いた。ああ、あいつは、いつも学級委員を努めている娘だ。
「高校生に、見えないよ。雰囲気っていうか、あなたの周りが、私たちと違うものに包まれているような気がするの」
「え……」
 僕が『時間旅行者』だということは、誰も知らないはずだ……それを見透かされたような気がして、僕は机を蹴とばし、教室を出た。
 動悸が速くなっていた。頭に血がのぼってもいるようだ。ひとまず顔でも洗って自分を落ち着かせようと、手洗い場に向かった。
 蛇口をひねり、前髪をかき上げ、ふと前にある鏡をみた時、息が止まりそうになった。
 鏡の中には、僕によく似た、
『おじさん』が『僕』を見つめていたからだ……。

 何がどうなってしまったんだろう。
 僕はそのまま、学校を飛び出して、あの店へと走った。
 僕の姿は、中年のおじさんに変わっていた。外見だけではなく、走っていても息がすぐ切れて、歩かなければならないくらいに体力も落ちていた。
 かなり疲れたけれど、店に入って、肩で息をしながら、僕は真っ先におじいさんを呼んだ。
「じいさん、じいさん! いるんだろ?! オレだよ、『ずっと前に』時計を買った!」
「ああ『おととい』来た、おまえさんか。くくく……」
 おじいさんは笑っている。僕はいらつきを覚えて、ポケットから時計を引き出して、話を続けた。
「この時計、不良品じゃないのか?!」
「くくく……人間は、いつかは老いて死ぬからなぁ」
「そんなもん、誰だって知ってる! どうしてオレの体や顔が、老けてしまったのかを聞いてるんだよ!」
 おじいさんは一呼吸おいて、言葉を返した。
「それじゃ、聞くまでもないだろう? 時間を戻り、やり直すとはいっても、おまえさんの体は一つしかない。同じ時間を繰り返し生きれば、人の二倍の人生を過ごしたことになるから、それだけ老いるということだ」
「あ……」
 何回も何回も高校生として生きていた僕は、確かに『おじさん』になるし、周りから見れば『おかしい』。そのうえ、この先の僕の人生も、他の、いや『普通の』高校生たちより短いものになる……。それに気付いて、僕は一気に怒っていた力が抜けて、右の木棚に倒れるようにもたれかかった。湿った本のような臭いが鼻先をかすめる。
 おじいさんの声はだんだん強く僕に降りかかってくる。
「わしは最初に『人生がつまならくなるかも』、と言ったはずだ。おまえさんはその時計を買った者としての、一つの『ルール』を守っていなかった。だから、今おまえさんは後悔しているだろう?」
 僕は震えた頭を一度、縦にゆっくり振った。

 僕は過ぎ去った過去を荒らして、今をより良くしようと時間旅行を続けてしまっていた。『やり直す』ことと、『作り替える』ことを、同じにしてしまっていたのではないだろうか。でもこれから、どうすればいいのだろう。
 時計をたくさん回して、赤ん坊の時代に戻ろうか。いや、この身体ではとうてい両親に受け入れてもらえはしないだろう。……ポケットには一万円札が何枚か入っていた。僕はそれを一枚引き出して、最後の可能性に賭けようとした。
「ここには、何でもあるって、言ったよな……。たった一度きりの、人生ってあるのかい……?」
「くくく……」
 おじいさんは笑って、一蹴した。
「残念ながら、それは置いてないな。おまえさんが生きている今までとこれからがたった一度の人生だからな。わざわざ持っているものを用意する必要もないだろう、くく……」

 僕は座りこみ、札を握っていた手を叩きつけた。『幸運の女神』は、とっくの昔に、逃げ出してしまっていたようだった。
タグ:2001 1991 1995
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/61400741

この記事へのトラックバック