2013年02月10日

血痕の日記


 僕と桂田は、熱っぽく語りあっていた。
「そもそも我々は、この世に生きる以上、五体すべてでそれに常に感謝しなければならぬ」
「そのとおりだ、同志」
 僕は桂田に意気を合わせる。桂田は、さらに語る。
「そして、自殺という行動は、まったくけしからん。あれは、今まで私は今日死ぬ為に生きてきましたと身をもって表現する極めて愚劣な行動である」
 僕は繰り返しうなづく。
 桂田とは、大学に入って真っ先に親友と呼びあうようになった。彼は素晴らしい思想を持っていた。たくさんの文学者や哲学者を知っていて、それらに自分なりの意見をきちんと話せる男だった。僕はいつもそれに感心し、少しは羨望も持っていた、とも思う。
 週に二回は、どちらかの下宿でこんな会話を交わしながら夜を明かした。まったく疲れは感じなかった。それよりも自分に活力が満ちあふれてくるようだった。
『桂田ノ話ニ感動スル。』
僕の日記には、たいていこう書かれていた。
 やがて僕も桂田も戦争に参加−−徴兵されることになった。

 先に死んだのは桂田だった。
 桂田以外にも同級生や家族が何人も死んでいた。心がどんどん削がれていくような気持ちの日々だった。
 僕も明日、特攻機に乗り込むことになっている。多分、生きては帰れないだろう。
 僕は日記を書いていた。
『桂田死ス。我モ明日出陣ス。我、何ノ為ニ生キル。』

『五体すべてでそれに常に感謝しなければならぬ』
 桂田の声が蘇った。僕は急に、何かに動かされているような生き方はしたくないと思った。僕が桂田に感銘したのは、桂田がはっきり彼自身の生き方を見せていたからではなかっただろうか。
 僕はとにかく自分の生き方を見せたいと思った。
「同志……」

 僕のとった行動は、桂田から見れば、そして僕も一度は賛成した、愚劣なものだった。しかし、自分の生き方を見せるのに、今の僕には、その力しか残っていなかった。

 血痕が広がる日記の上に、鉛筆を削るナイフがゆっくり転がった。
 どこまでそれが回って止まったか、僕は知らない。
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posted by なみかわ at 19:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 短編集 歴史博物館
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