2006年02月04日

『おもいで』の思い出を

 人間ひとりが一生の中で出会う『人間』の数は、それほど多くないらしい。
 テレビに出ている芸能人も、見ている僕らを一人一人知っているわけじゃ
 ない。普段いろいろと会話したり、ましてや大事なことをうち明けられる
 人間の数は、みんなだいたい同じくらい、らしい。

 それじゃあ僕らは限られた時の流れの中で、出会った人たちとの間に、
 どれだけ鮮烈な−−あざやかな思い出を作ることができるだろうか?

 僕が『おもいで』を書き始めたきっかけは、これだった。


 今日の詩を、卒業式の日に先生が黒板に書いたり、読んだりしてくれた。
 ひとつひとつ薄紙をはさみこんで、『おもいで』の本を作った。
 大学のネットで、みんなが読めるようにファイルをアップロードした。
『おもいで』のおもいでは、僕の人生にとって、大切な思い出となっている。

 そして、今日から始まる『おもいで』も……。

 僕はこれからしばらくの間、詩を贈り続ける。
 それらは、あなた自身の思い出と、そっと重ねてもいいし、
 じっくり読みこんでも、書きうつしても、みんなに読んで聞かせても
 かまわない。

 あなたの人生に、あなただけの『おもいで』の思い出ができれば、
 僕はとても嬉しいから。
posted by なみかわ at 17:29| Comment(1) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

2006年02月05日

合唱の魔力


 中学校では、文化祭や卒業式などで、合唱をすることが多かった。

 発表の日が近づくと、どこのクラスでも放課後やホームルームの時間を
 使って、練習を続けた。音楽の先生が弾いてくれたピアノ伴奏を、
 教卓に乗せたラジカセで流して、何度も歌い直していたことを思い出す。
 遊びで歌うカラオケ−−とはまた違い、みんなで歌を『うたう』時は、
 心の底に統一感が生まれているような気分だった。

 ふだん、会話していて聞きなれているはずの友達の声が、
 ひとたび合唱で調和(ハーモニー)のひとつにふくまれると、それは
 どんなに有名な音楽家でも表現できないような『音』に変わっていった。
 オーケストラが奏でるような、バイオリンやチェロの音色以上に、心を
 引きつけられてしまう。

 またある時には、叫びに近い歓声が、調和や旋律を持ちはじめること
 さえあった。運動会や遠足、修学旅行のことを回想すると、
 みんなの『明るい声』の記憶まで、頭の中に現れたことはないだろうか。

 歌やざわめきには、きっととても大きな力がこめられている。


 ひとりで歌うことが多くなったある日、僕は駅前の雑踏を歩いていた。
 通り行き交う人々は、おのおのばらばらに声を発し、がやがやと音を立てる。
 ほんの少し、みんなで合唱したことや、笑顔で歌ったこと、過ぎていった
 時代をなつかしんだ。

(1999年2月)
posted by なみかわ at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

とげとげしい日々に、花束を


 受験がせまって来ると、なぜか毎日仲良く笑っていた友達たちと、
 距離を置きがちになって、話をしづらくなった。

 今なら、どの学校を受験するとか、どの学校に入学したとかを聞いても、
 他人と自分の目標はそれぞれ違うと知っているから、
「がんばってください」と自分なりに言葉をかけられるだろう。でも、
 幼い頃はそうもいかなかった。成績だけで線が引かれてしまう気がしたり、
 先に進路が決まった友達に、よそよそしくなってしまったりもした。

 いつも同じ空間にいて、同じことを一緒にやってきた友達だからこそ、
 そんな態度を取ってしまうのかもしれない。別れの時が近づくにつれ、
 何かがちくちくしていた。ゆっくり考えるひまもなくしてしまい、
 心の中は自分や周りのなやみでいっぱいになってしまっていた。


 現代もずっと、とげとげしている。みんなあくせくしていて、本音を話せる
 人も時間も見つからなくて、手元の携帯を押し始める。
 モニタの前で、ぼうっと映る文字を見つめて、ため息をつく。
 そんな時は、たぶん心の中にもなやみ事がぎゅうぎゅうに詰まっている。

 どうか、そんな日々に負けないでほしい。
 一息ついて、心まで空気を入れかえられたら、身体も、考え方も楽になって
 くるはずだ。そうしているうちに、笑顔も自然に顔にうかんできて、
 周りもやわらかく、明るくなっていくと思う。


(1999年2月)
posted by なみかわ at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

ひとりはみんなの『未来』のために



 『これで最後だ、だからがんばろう』

 そんな言い方に、素直にうなづけなかった。

 僕らは、だいたいいつも何かの輪(コミュニティ)に入っている。学校や
 会社、趣味のサークル、あるいは家庭。中学生なら、3年で輪を抜ける。
 だから先生達は、3年目の行事になると、『最後だから』と力を
 入れさせたくなるようだった。

 僕は中学2年の時、ある委員会の選挙に出ようとしていた。
 ところが小さな出馬は、先生のひとことで白紙になってしまった。
 今度3年生になる先輩も、同じ委員を希望している。あいつは
 『最後だから』、ゆずってやれ、と。


 これから新しい輪に入る時、今までいた場所での経験も、必ず生かされる。
 まったく種類が違っていても、自分だけの体験や、心に刻みつけてきた言葉
 が多ければ多いほど、それはきっと役に立つ。

 あの時は悔しかったけれど、そこで得たものは、どこかで自分の
 『ちから』になっているということはわかった。
 自分だけではなく、誰もがいろんな輪の中で、どこかで必要になる
 『ちから』を手に入れている。
 これからも僕は、周りが喜んでくれるような『ちから』がほしいから、
 怒ったり泣いたり、笑ったりして生きていくだろう。

(1999年2月)

posted by なみかわ at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

とびたつ君に

 朝もやの引かない、小さな駅。
 春までまだ少しあるけれども、ここを出て大きな街へ行くことになった。

 4月からの進路が決まった。
 生まれ育った町を、初めてはなれて、一人でくらし始めることになった。

 ……

 この詩は『おもいで』の中でも特に気に入っている。
 書いた当時は、本当に自然に出てきた言葉なのだが、今読み返してみると、
 いろんな旅立ちのシーンに、あっているようだった。

「大きな声で」、叫んだことがあるだろうか。
 誰かを応援したい時、
 勇気を伝えたい時、
 とてもつらく悲しかった時、
 自分の『夢』をみんなにわかってほしかった時。

 いのちをこめた叫びは、心を揺り動かす。
 どんなにばらばらでもいい、あなたの声を聞きたいと思う人は、
 きっといるはず。

 ……

 僕は想いを叫ぶ手段のひとつに、『描くこと』を選んだと思っている。
 文字として、絵として。テキストファイルとして、手書きとして。
 いのちをこめた叫びは−−きっと誰かに届くと信じて。


(1999年2月、2006年2月)
posted by なみかわ at 21:01| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

2006年02月12日

今日の僕は、笑ってた?


 小学生の時よりも、高校生くらいの時の方が、『宿題を忘れたらたいへん』
 だということがよくわかる。授業の予習や復習をかねている宿題だったら、
 どんどん先生の話が耳に入りにくくなってしまう。

 だから、今日こそはそうならないように−−と願いをこめて机に向かって
 も、全然ノートが埋まらない日もあった。たくさん辞書を引いたのに、
 参考書も並べてめくったのに、どうも頭の中に入らなくて、
 結局ふて寝をした。

 あまり、ぐっすりとは眠れなかったけれど。


 宿題や勉強から「解放」された今でも、物書きのこと、昼間の仕事の
 ことで、夜まで悩む時がある。
 そんな日、僕はお茶を飲んで寝ることにしている。

 冬ならお湯を沸かす間−−ポットからマグカップにそれを注ぐ間、
 最初の一口で「あちち」と言う間。一瞬だけ、今日一日のことを
 思い返してみる。

(今日の僕は、笑ってた?)

 笑っていなかったら、もう一度鏡に向かって、いい顔をしてみる。
 それだけで、気分が楽になるのだ。

(1999年2月)
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 明日を期待するより 昨日に続く今日を生きよう
 昨日はもう動かない だから今日をせいいっぱい生きよう

  めぐる日々のなかで 君が見てきたこと 大切にしてゆこう
  今生きていたはずの今日も もう二度と動かないよ

 ぜったい悔やまないために 昨日にかわる今日を生きよう
 昨日はもうかえってこない だから今日をせいいっぱい生きよう

                               (1991.2)
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posted by なみかわ at 22:03| Comment(1) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

さて、ひとりで歩こうか



 魔王を操っていた、本当の「最後の敵」(ラスボス)を倒した、
 勇者と仲間たち。
 エンディングでは、ひとりひとりが、故郷へと帰って行った。
 ある者は、お店を始めた。ある者は、また別の冒険に旅立った。

 僕らにも、もうすぐ別れの時がやって来る。

 別れなんて言うと、さみしい感じがするけれども、別れた後
 −−新しい場所で、新しい生活に慣れる頃には、そこは少し
 なつかしい時間と空間に変わっているだろう。

 ゲームを始めたばかりは、王様に選ばれた勇者だって、
 小さなモンスターに悪戦苦闘している。
 僕も、4月や5月は、3月までの生活と違っていたから、
 何かともどかしかった。

 今は、たまに時間ができたら、自転車や電車に乗って、
 ふらりと「なつかしい場所」に行くことがある。


(1999年2月)

posted by なみかわ at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

たまには空を見上げてみよう



 花火大会の日、初日の出をおがむ元旦、飛行機雲を見つけた時だけじゃあ、
 もったいない。
 たまには空を見上げてみよう。

 いちばん気持ちいいのは、緑地のように広い場所で、大の字になって
 ねころがって見るやり方。

 近くに広場がなければ、校舎の3階からでも、階段の途中にある窓からでも
 かまわない。

 青い空に、自分の瞳がすいこまれていきそうになる。


 カメラを持ち歩いていても、自然と空にレンズを向けている。
 ファインダーから覗く(のぞく)空も、とてもきれいだ。

(1999年3月)
posted by なみかわ at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

インビジブル・ウイング(見えざる翼)


 目には見えない何か、「大きな力」が、僕たちごと世界を揺り動かして
 いるのではないか?と思う時がある。
 奇跡のように信じられないできごとや、偶然にも悲しくて泣かずには
 いられなかったことが起こるたびに、「大きな力」の存在が本当にある
 かもしれないと感じるのだ。

 僕たちには、「見えざる翼」があると思う。

 「正しい」と「間違っている」を分けることのできる、真摯な心。
 明日の天気が悪くても、がんばろうと言える、勇気。
 いつか自分やみんなの夢は叶うんだと叫べる、ちから。
 それらは「見えざる翼」となって、僕たちに希望を与え、
 強くはばたいてくれる。

(1999年3月)
posted by なみかわ at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

生きることとは…


 「どうしても、すてられない」夢を持ってる人はカッコいい。
 誰にあきれられても、しっかりつかんで、放さない夢を−−。

 自分の夢の名前や、夢の重みを言葉にできる人はカッコいい。
 どんなにちっぽけでも、はっきりとかたちにできる夢を−−。


 カッコいい人たちは、ずっと夢に向かって走り続けている。
 その夢のいいところも苦手なところも、仲の良い友達のように
 知っている。
 だから、周りからつっつかれても、全然屈しない。

 そして、夢のために何もできない日があっても、全然気にしない。
 彼らは恥ずかしそうに鼻をかきながら、こう言うのだ。
 「寄り道をしていると、思っているから」

 生きることとは……夢を追いかけること。
 
1999年3月
posted by なみかわ at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

2006年02月19日

僕らが現在で夢を見る瞬間


 現在(いま)、みんなはどんな瞬間(とき)に、不思議めいた世界を
 思い浮かべるだろうか。TVゲームの世界に引きこまれている時、
 あるいは冒険小説を読んでいる時。ここち良いクラシックや、
 好きな歌を聴いている時かもしれない。

 この詩を書いた頃、僕は「もしも」をいくつもつなぎ合わせて、
 いろんな物語を思っていた。
 「もしも」、塾の帰り道に、見知らぬ衣装の人々に出会ったら。
 「もしも」、その人たちの世界に行くことができるなら。
 「もしも」、その世界で勇者になれるとしたら。

 大人の僕が、いきなりこんなことを口走ったら、周りは冷ややかに
 「おい、大丈夫か、」と声をかけてくれるだろう。
 「新しい小説の設定を考えていたんですよ」と説明するまで、
 みけんにシワを寄せたままで僕を見ているかもしれない。

 ふだんの生活の中で、ほんの小さなすき間から、あの時の僕は、いや
 『こども』たちは、夢を見ていた。



(1999年3月)


posted by なみかわ at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

できなくても、いいんだよ



 この詩を書いてから何年か後に、人間ひとりが抱えられる「もの」の量は
 決まっている、という話を聞いた。
 重い荷物でも、山積みの仕事でも、あるいは悩みごとでも、
 「もの」は何にでもたとえられる。

 誰にもあれこれと、「やりたいこと」がある。でも、
 すべてをやりきるのはけっこう「しんどい」(つらい)。
 つまり、ひとりで抱えられないほど「もの」を持っていたことになる。
 それらはぽろぽろと、時間とともに、腕の間から、指のすきまから
 こぼれていくのだ。

 「やりたいこと」が、それだけ大きいものだったならば、
 できない部分があってもしかたがないんだと思う。

 「できなかった」のと、「やらなかった」のは違う。
 いっぱいがんばって、ちょっとだけしかできなかった人は、
 続きをまたやればいい。
 ちょっとだけしかやらなくて、いっぱい残した人は、感じることも
 「できなかった」時と少し違ってくる。

 だから、できなくても、いいんだよ。
 胸をはって「がんばった」と言えるんだったら。

 いつか、いつか。
 全く同じ事じゃないのかもしれないけど、
 そのがんばってきたことをいくつも積み重ねた、他の何かは、
 きっとできるようになるはずだから。


(1999年3月、2006年2月)
posted by なみかわ at 23:34| Comment(1) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

観覧車から見た世界


 写真を撮るのが好きだ。

 カメラのことは詳しく知らなかったが、母さんが学生時代に
 買ったものや、友達の一眼レフを借りては、レンズ越しに
 あちらこちらを向き回った。

 僕の視点は、ずっと続く線路や道路といった「奥行き」や、
 ビルや駅などの「骨組み」を、よくとらえた。

 最近気に入っているのは、JR大阪駅−−阪急梅田駅の間である。
 ほんの数分、でも毎日、鉄塊(てっかい)モニュメントや
 大観覧車(*)を視界に入れることができる。

 この前、大観覧車の写真を撮ろうと、真下に身体をすべりこませた。
 人の造った巨大なものを、下から見上げてみる。
 どこからか重みのある音が鳴り、はるか頭上では人を乗せた
 ケイジ(かご)がただよい続ける。
 延々(えんえん)と、えんえんと。

 小さな僕らを運ぶ観覧車でさえも−−地球の一部に乗せられて
 動いているはずだ、とふと思った。
 僕らも、巨大な世界のひとかけらに構成されているのだろうか。

 カメラを持つ手が、少しふるえた。

(1999年3月)


*大観覧車:阪急HEPナビオに組み込まれている巨大観覧車

追伸:
 これを書いた時点では「ヨドバシカメラ」はまだ
 できてなかったと思います。
 現在、大阪駅周辺は北ヤードと称されて大スケールでさまざまな
 建物が生まれています。


posted by なみかわ at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

また、会おうね


 卒業式が終わって、家に戻って来て、なんだか心が欠けてしまった
 ような感じに、なりました。

 靴箱から、名札をはがしたら、急にここからすぐに出て行かなきゃ
 ならないような気分に、なりました。

 最後のホームルームを聞いていた時、明日から、外でクラスメイトを
 見つけても、声をかけられるか心配に、なりました。

 ……いいや、あんまりさみしいことは考えないでいよう。

 こんなに毎日、いっしょにいたんだから。
 また、会おうね。
 笑って、楽しい話をしようね。


(1999年3月)
posted by なみかわ at 23:36| Comment(1) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

2006年02月26日

僕らの民主主義


 僕がいた中学校には、「校則」がなかった。

 生徒手帳には、数ページだけ、「申し合わせ事項」という
 文章があった。
 (それで詩の中では「申し合わせ事項」という表現があります)

 その名の通り、生徒会全員(学生全員が会員)で決めたことを、
 やさしく、○○しよう、○○しないようにしよう、と
 申し合わせるかたちで書かれていたのだ。

 一度、「校則」が復活するかもしれないできごとがあったが、
 ある生徒がみんなに向けて書いた手紙によって、みんなが話し合いの
 場を持ち、結果「申し合わせ事項」を存続することができた。
 今回の詩は、この時の気持ちを書いたメモが元になっている。

 長く、深く、話を続けていて、僕たちがつくる学校生活には、
 何が必要かを知った。

 「自分らしく、自由でいる権利もある。
  そして、生徒で約束した決まりを守る義務もある」

 「自由」という言葉にふくまれた、
 「重み」を感じたことはあるだろうか。



(1999年3月、2006年2月)
posted by なみかわ at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

がんばれ!がんばれ!がんばろう!



 何もしなくても、ある程度幸せは得られる。
 けれども、何かに挑戦すれば、そこから大きな感動が生まれる。
 成功してももちろん、そして失敗したとしても。


 大学1年の終わり頃だったか。マリンバの演奏会で、僕のオルガンと
 「共演」しようか、という話が来た。企画としてはなかなかおもしろそう
 だったが、実際練習を始めてみると、あれこれと問題が出てきた。

 まず、僕のオルガンは、本番で弾くものと機種が違うから、音色の
 設定が進まない。次に、マリンバ・オルガン用の楽譜なんてないから、
 五線譜を書き直さないといけない。そのうえ、この2台の大型楽器を
 置いて練習する場所がなかなか取れない。

 こんなに苦労しなくたって、オルガン演奏を発表したかったら、
 毎年の発表会に出れば、それで十分じゃないの?−−手書きの楽譜を
 にらみ、何度も間違えながら、鍵盤を叩いたこともあった。

 かくして、本番の日。
 なんとか相手の足を引っぱることなく、自分の演奏ができた。
 会場の拍手に、泣きそうになった。
 「今までの練習、がんばったね」と、知り合いに花束を手渡され、
 泣いてしまった。
 花束をもらうことが、こんなに嬉しいものだと、その時知った。


 僕は今でも、次々に新しい企画を考えて、ものを書いたり、オルガンを
 弾いたりしている。自分で予定を詰めすぎてしまうこともあるが、
 やりとげた時の気持ちが好きだから、手帳のメモもなかなか減らない。

(1999年3月)
posted by なみかわ at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

暗闇で見たひとすじの光



 たまに、「将来の夢は?」と聞かれて、「さぁ……」と答える子供が
 いる。僕はずっと前から物書きになる、と決めていて、みんなにも
 そう言ってきたけれども、もしも物を書く「きっかけ」がなかったら、
 どうしていただろうか。


 いままで、たくさんの人から、書いていってほしい、という希望のことばを
 もらってきた。そのたぶん、一番最初に家族以外の大人に言ってもらえたのは、
 小説のようなものを書き始めた中学1年生の時、国語の先生からだった。
 
 学級新聞に、ギャグみたいな小説を書いて出したら、それを読んだ先生が
「あの新聞の話には笑わしてもらった」と言ってくれたのだ。
 読んでといって持って行ってはいなかったと思うので、すごく嬉しかった
 ことを覚えている。
 あの時の言葉が、今も書いていることへと続く「きっかけ」だったのでは、
 と思うことがある。

 *

 自分の心の中は、いろんな「思い」で、もやもやしている。
 単におなかがすいたことから、本当に自分がやりたい事はなんだろう、
 と深く考える部分まで、まるで四次元のように、「思い」は拡がって
 (ひろがって)いる。
 どれをどれだけ考えればよいかは、大人になってもなかなかうまく
 定めることができない。そんな時、指針のような−−
 闇を一瞬で切りさく、ひとすじの「光」があれば、すくわれる。

 *
 
 そして、こどもとおとなのあいだでは。
 
 大人には、こどもを護る(まもる)義務がある。でも、危険から
 遠ざけさせて、壁の中にこもらせるような守り方では、まだ足りない。
 裏打ちされた知識で、迷いそうになるこどもを「救出」し、
 挑戦する姿を後ろから見つめて、協力をおしまないことが必要だろう。

 そう、「光」を与えてほしいのだ。

(1999年3月、2006年2月)
posted by なみかわ at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

2006年03月11日

いつもいつも想い続けた



 先日配信した「がんばれ!がんばれ!がんばろう!」の
 エッセイで、マリンバとオルガンの共演について書いた。
 その後の、1997年頃の話を紹介しておきたい。

「勇者のテーマ/Theme of Courager」という詩は、自作曲の中でもすごく
 気に入っている。カセット・テープに他の自作曲と録り(とり)あわせて、
 友達に貸したりしていた。
 今なら、ブログで気になったものの写真を撮ってアップする、そういう感覚で。

 97年の春ころ、「勇者のテーマ」が入ったテープを聴いたクズハという少年が、
 歌中の「いつもいつも思い続けた」というフレーズ(一部)を
 モチーフ(題材)に、1曲作ってみたと言い、MDを持って来た。

 誰かが、自分の曲を演奏してくれる、それだけでもわくわくしておもしろかった
 のに、クズハ少年は「俺の曲ともあわせて、野外で歌わんか?」と
 持ちかけてきた。なんでも近々、あるフリーマーケットの会場で、
 バンド演奏ができるらしい。

 やってみたい、といい返事をしたまではよかったが、またまた難題が積み上がった。

 僕は当時大学まで2時間かけて通っていて、練習する場所を借りる時間がとれない。
 しかも今度は「歌」だから、腹の底から声を出せなければ話にならない。
 オルガンなら夜中でもヘッドホンを使って練習できたのだが。

 これはもう、「開き直る」しかないな、と、僕は笑いだした。
 あきらめるだけなら、いつでも簡単にできる。
 それならできるだけやってみてからにしよう、そう決めた。

 駅から家まで一人で歩く間は、ひたすら息を吐く練習をした。
 電車の中ではMDをきいたり、楽譜を読み直したり。
 メンバーがそろう練習日には、すごく集中したりして。

 かくして、本番の日。ひとりで歌うところでは、かなりあがった
(緊張した)。声がふるえ、歌い終える頃には、ふらふらになってしまった。
 それでも、友達や通りすがりの人が聴いてくれて−−、
 拍手をもらえたことが、本当に嬉しかった。

 イベントが終わって、クズハ少年と飯を食いながら、今日の感想を
 言い合ったりしていた。頭の片すみでは、また機会があったら
 バンドをやりたいなあ、と考えていた。こりていないというか、
 何かに「挑戦する」楽しさが、わかり始めていた。


(1999年3月、2006年3月)

posted by なみかわ at 22:17| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで

夢に続くこの道を


 中学の時、体育の先生がこんな話をしてくれた。

 先生は高校時代、陸上部にいたが、レギュラー走者になるには、たくさんの部員が
 ライバルで、とても倍率が高く厳しかった、という。

 もちろんレギュラー採用選考は、タイムのいい人から選ばれる。何回も、何本もの
 走り込みや、基礎練習が必要だった。しかし先生の家は学校から遠く、みんなと
 同じ時間、放課後の練習をすることができなかった。

 そこで先生は、100メートル走の練習では110メートルを走ることにした。
 みんなが100メートルで走るのをやめてしまうところを、先生は10メートル先まで
 真剣に走った。毎日毎日それを繰り返した。
 グラウンドの端までダッシュするので、ゴールをすぎてもまだ走ってるぞと
 笑われたり、自分自身も最初は恥ずかしかったらしい。でも、ずっと続けた。

 それが絶対に原因かどうか、は誰にもわからないけど……
 何度目かのレギュラーの選考に先生は見事に合格した。それがきっかけに
 なって、大学でも陸上を続け、体育の先生になったともいう。


 僕は努力という言葉があまり好きではない。むしろ、嫌いな方かもしれない。
 コツコツやる、というのが、性に合わない。

 でも、以前の先生の話を思い出したとき、
「そうか、そんなに難しく考えなくてもいいんだ」と思うようになった。


 昼間、普通に仕事をしている時に、ほんの少しだけ余計に体や頭を動かしてみる。
 電車で本を読むだけでもいいと思う。そして、無理をしないで、
 疲れたら何もしなくてもいいと思う。

 誰かが決めたゴールの「向こう」に、
 自分で決めた「目標」さえ、見失わなければ。
 そこに少しずつ、あきらめずに行動しつづけられたら。


 *

 今回の詩(歌詞)、Let's go to the "Wonderful Land"の後半、
 「夢に続くこの道を、、」の部分は、何年後かに作り足した。

 いまはまだ、はっきりと夢がわからなくても。
 今歩いている道は必ず夢につながっているはず。
 
 もう何か夢を見つけている人も。
 今歩いている道が、必ず夢につながっているから。
 あきらめなかったら、ぜったいに叶うと、信じてほしい。

(1999年3月、2006年3月)
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2006年03月14日

でっかい声で好きだと言おう


 どうして、言葉が出なかったんだろう。
 「好きだ」と言うまでがとても遠かったあの頃も、
 今ではちょっと恥ずかしい思い出、で。

 片思い、両思い、いろんな恋愛の思い出もある。
 「好き」という素直な気持ちを、仲間に投げたこともある。

 久しぶりに会ったら握手して、
 嬉しいことがあったら抱きあって騒いで、
 泣きそうな時にはポケットからしわくちゃのハンカチを探して
 −−泣きやむまでそっとそばにいてあげられる、
 そんな気のおけない(気楽にいろいろ話せる)仲間たちに。

 今日はホワイトデー。
 あめ玉をひとつポケットに入れて、自転車に乗って。
 いつも一緒に笑ってくれる仲間に、渡しに行こう。

 *

 大好きな人に。勇気のでるような言葉を
 届けられたらいいな。
 あこがれてる人に。背伸びしない、自慢しない言葉を
 見せられたらいいな。
 
 好きなことを、素直に好きと言える日々があることを。
 
 なにげない一日でも、
 春が近いのに急に雪が降ったりとか、
 ざっと雨が打ち付ける初夏とか、
 星がきれいで、静かな夜とか、
 真っ白につもったところに 足あとをつけて笑いころげられる、
 そんな日々が、
 しあわせっていったらくさいかもしれないけど、
 しあわせって思ったら涙が出てくるんです。
 
 生きててよかった。
 支えてくれた人にみんなに何度もありがとうって叫びたい。
 君が大好きっていうのと同じくらい、強く、感謝して。

(1999年3月、2006年3月)


posted by なみかわ at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | エッセイ おもいで