2007年11月25日

6:50PM、京都駅

 改札を通って、すぐ右手のエスカレーターには乗らない。疲れきった同類にまぎれたくないし、それに、カフェオレの缶を買うからだ。

 京都駅の0番ホームは、特急に乗る旅行客か出張風の姿が多い。少し歩けば喫煙コーナーがあって、やにくさい人も混ざっている。手前の方は二、三人が寄ってたかってどれにするか決めていたので、ひとつ向こう側に回ることにした。

 用意していた120円を入れて、茶色の缶のボタンに触れようとしたら――ばたばたばたと右側から女性が走ってきた。

「ロイヤルミルクティで!」

「……はい?」

 たしかにその女の人は、ふたつ左にある青白い缶の名を告げた。勢いでそっちを押してしまう。ガタンとこぼれた音をきいて、「ありがとう向井(むかい)君」とほほえみかけてきたのは、庶務の泉水(いずみ)さんだった。

「よく僕だってわかりましたね」
 すごい、と言いかけると、さっと小さなポーチを出して振られた。
「タバコ吸うから、いつもここに来るんですよ。おとといくらいから見つけてました」

 僕は泉水さんから200円を受けとった。あわてて財布を出したら、泉水さんは自販機を指さす。
「カフェオレ、買わないんですか?」
 確かに。僕は苦笑って、もともと買う方を選びなおして、おつりを渡した。

「もうちょっと暗くなったら、そこの黒いところに、蛍光灯が写りこむんですよ」

 泉水さんに着いて喫煙コーナーの方まで歩いた。0番ホームは日本で一番長いとかいう話はどこかできいていたが、ここから電車に乗ったことはないので、あらためてこんなに奥まであるのかと気づいた。黒い石造りのホームがせり出していて、高級な感じがした。

 後ろを向くと、ホームの時計は6時50分をさしていた。まだ空は明るく、屋根や陸橋でコの字型に切り取られたように見えた。二つほど向こうのホームには銀色の新快速が入って来るところだった。
「これからあっという間に日が短くなりそうですね」
「そうですよね……だいぶ涼しくなりましたよね」

 少しの間、僕は泉水さんと会社のことを話して帰った。課も違うし、昼間はほとんど話していなかったから、いろいろとネタは尽きなかった。それから週に1、2回、帰りに姿を見かけた時は、10分か20分くらいは話をするようになっていった。
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2007年11月28日

あした、はまべを

 定時前に打ち合わせをしていたから、デスクに戻るともうほとんどの人が帰ってしまっていた。泉水さんのPCの画面も消えていて――きっとまたあのベンチでタバコを吸って
いるんだろうな、と想像してみた。

 はたして、0番ホームの自販機でカフェオレを買って左向こうを見たら、見覚えのあるカバンがあった。もう一回、財布を出した。

 近づいていくと、泉水さんの口元は、歌っているように見えた。その歌は、小学生くらいの時に習ったような記憶があった。


 初めてここに来た時よりも確実に辺りは暗くなっていた。聞いた通り、夜に近い空の下では、蛍光灯の白いラインが黒い石のホームにまっすぐ引かれていた。もしもこれが揺れていたら波打つ浜辺に見えなくもなかったかもしれない。そんなことを考えながらぐるりと周りこんだものだから、泉水さんの正面に立ってしまっていた。気づいた泉水さんに、ぺこりと頭を下げる。
「お疲れ様です。……これ、いりますか? ロイヤルミルクティ、買ってみました」
「あ、ありがとう」

「さっきのって、」
 僕はここで歌の題名を思い出した。
「浜辺の歌、ですよね」
「あら……聴かれてましたか」
 隣のカバンをよけてもらって座りながら手を広げた。
「思わず、こう、ぐるっと回ってきてしまいました――波打ち際を想像しながら」
 そしたら、ぱっとふり向かれた。煙が、後から追いかけてくる。
「向井君もそう思った?!……浜辺みたいだなんて、誰にも言えないと思ってました」

 泉水さんは恥ずかしそうに灰を捨てていたので、「そんなことないですよ」とすぐに返事した。泉水さんははっとしてこっちを見た。目があった。
 泉水さんは目をぎゅっとつむって、また前を向いた。……しばらくホームのアナウンスや電車の音を、ふたりで聞いていた。

 だいぶん暗くなった0番ホームの向こうが、ごちゃごちゃとした海になって、貨物列車の行く音を波におきかえればここが砂浜のベンチに見えるかも、と言ってあげたかった。
「あ〜、ここが砂浜だったらなぁ、夕方の海で遊んだのになぁ」
 だから泉水さんの言葉にも、「ここのどこが海なんですか」なんて言わなかった。
「そういえば。浜辺の歌の“あした”って、“早朝”だって知ってました?」
 泉水さんは、何か話題をずっと探してくれていたようだった。タバコの先とミルクティの缶を交互に見ながら、足をコツコツさせていた。

 泉水さんと別れた頃には、すっかり暗くなってしまっていた。あっ今日は金曜日だったと気づいて、ちゃんと飯を食いに行ってゆっくり話をした方が良かったですか? というメールをすぐ送った。また、機会があればという返事が、寝る前に返ってきた。
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2007年12月02日

君の優しさの影

「お先に失礼します」というメールが泉水さんから届いていて、僕もCDを買いにポルタに寄ったから、今日はあそこで会うことはないだろうと思いこんでいた。いつも通り0番ホームでカフェオレを買い、左を向いて“確認”してから、ああ癖になってるなとひとりで笑いかけた、が――見覚えのあるカバンにぽかんとして、さらに泉水さんの隣にいる男の姿に息が詰まった。

 自販機の後ろから待っていた人にもせかされ、あわてて柱に隠れた――隠れる必要があるのかはどうとして。相手は泉水さんの課の山名課長だった。泉水さんとあいさつを交わし、彼女は奥でタバコを吸うというしぐさを見せ――課長は地下への階段を下りていった。

 泉水さんもそのまま奥へ消えてしまうだろうと予想していたのに、彼女はじっとこちらを見たまま、「向井君」と口を動かした。あっけなく見つかっていた。おいでよ、と手で合図されたが、すぐに近づく気になれない。そうしたら、カバンを置いたまま走り寄られ、「ロイヤルミルクティでよろしくね」とだけ言って戻られた。小銭は120円ちょうどしか持ってなくて……ベンチまでが、やけに遠く、重ったるく感じた。


「今の……山名課長でしたよね」
「そう。たまに帰りにいっしょになって。まあ、今日は相談があったんですけど」
「ああ、そうですか」

 たまに、いっしょに。――泉水さんのタバコの煙が、急にうっとうしくちらついてきた。ここは泉水さんにとって、ゆっくり休めるとっておきの場所なのか、それともただタバコを吸うだけのところかが、わからなくなった。“浜辺”だとか言っていた、のに。


 そのしかめっ面を見てか、泉水さんは何かと会話をつなごうとしていたが、僕はあまり話をきかなかった。

「ここ、浜辺の歌みたいに朝早く来たらどんな感じだと……」
「さあ……寒いんじゃないですか?」

 あまり長居しないほうが良さそうだ。今日は小銭が無いので、ケチだけどお金を返してもらおうと思った。

「あの、今日の分なんですけど、ミルクティの」
「年明け……」
「……はい? 何が?」

 泉水さんはもごもごとしていたが、日が短くなってきているからか、暗くてわからず、聞き直した。ついでに、「まさか、僕にいつもおごってもらおうとしてません?」、と皮肉った。泉水さんはびくっとして、肩を縮めた。

「山名課長におごってもらえばよかったんじゃないですか? そもそも、何を話してたんですか」
「あの、それは……」
「別にここでなくてもいいのに。僕が来るかもしれないってわかってるのに。ああ、僕からお茶をおごってもらう為に、じゃないでしょうね、」
「……そんなことないです、ただ……」

――泉水さんは目をふせていた。火をつけていない二本目のタバコの先が、しなびて落ちる。やっぱり今日は帰ろう。僕は立ち上がった。泉水さんはあわててカバンを開けているけど、「もういいです」と後ろを向いたまま吐くように告げて、いちもくさんにエスカレーターへ早歩きで去った。


 何が、砂浜だ。ここはただの駅だ。誰もが海に来るような格好じゃない。ここが砂浜なわけがない。ここはただの駅だ。ホームだ。――灰色に塗られた床を、ひたすら蹴った。



 しばらく、0番ホームには寄らなかった。カフェオレも、あの青白い缶を見るのが嫌で、コンビニで買った。会社で書類を出す時は、別の庶務の人に頼んだ。会社から帰る頃には、もう外は真っ暗になっていた。京都駅は、ただ通るだけの場所になりかけていた。
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2007年12月05日

粉雪とシアーブルー

 12月に入ってから、泉水さんを会社でも見ないなと思ったら、行き先を示すホワイトボードに『有休』のマグネットが貼られていた。そりゃ、たまには休むだろう、と目をそらしかけたら、その後にマーカーで“〜1/8まで”と続いていて、思わずあっと声をあげてかけ寄ってしまった。その姿を山名課長に見られていた。


「3課の向井君、だったけ。……泉水さんのこと?」

「あ、いや、あ、はい。長い休暇なんですね。旅行でも行ってるんですか?」
「……ああそうか、君は3課だから、知らないか」

 ふっと、僕はとんでもない速さで“知らないか”という言葉に反応してふり向いていた、一瞬だけこの人を京都駅で見たことも思い出して。

――山名課長はかなり驚いたようで、他の人には聞こえないように書類で「壁」を作って、その理由を教えてくれた。




「入院してるんだよ」






 仕事が終わって、ダッシュで0番ホームのベンチに向かった。もちろん泉水さんはいない。自販機までも、偶然かどうか、ミルクティの下で売り切れランプを照らしていた。

「内臓に小さな腫瘍(しゅよう)ができてたんだって。内視鏡手術とかで楽に取れるらしくて、2週間くらいで退院できるらしい。俺も話を聞いたときは、まさかと思ったよ」



 あの日、泉水さんは、山名課長にきっと病気のことを話していたんだ。――なんであの時、勝手に先に帰ってしまったんだろうと何度も何度もため息をついた。


 大階段の方は、もうすでにクリスマスの飾りつけができあがっていて、それっぽい曲が鈴の音とからんで鳴り響いていた。――改札を抜けてここまでくるともう届かなかった。





 月明かりさえホームに映りこみそうな、冷たい夜だった。強い寒波がきているらしく、ごうごうと風がうなって通っていった。いくつも向こうで快速が通り、特急が手前に寄ってまた去ってゆく。僕はベンチにずっといた。飲みさしのホットのカフェオレがすっかり冷め切って缶のふちが冷たくなっても――全然、そこを立ち去れないでいた。



 携帯を開いて、残していた泉水さんからのメールに、返信で……だめもとでメールを打ってみることにした。タイトルも、だいぶ迷ったけど、「お大事に」とした。



――入院してるって山名課長にきいてびっくりしました。お大事に。――



 もっと、何か伝えたかった。でも何からどう言うか、最後に見た泉水さんの――口をつむいだ、悲しそうな顔に向かって、言葉が出ない。下(↓)ばかり押していた。



――浜辺は寒いです(>_<)――




 メールの下の方にそれだけ入れて、機能、送信、と押した。



    *



 朝、電車が二条を出た時に電話が震えた。どうせ電器屋の宣伝メールだろうと、昼休みに見てみたら、“Re:お大事に”という文字が見えてどっと体中の血が逆流した。あわてすぎて「切る」を押してしまう。よく間違えて消さなかったものだ。


 泉水さんからのメールは、帰りに0番ホームでちゃんと読み返した。


――メールありがとう。あさって手術です。取るのはすぐなんですが、それから一週間くらいいないといけないらしいです(>_<) まあ、がんばります――


 カフェオレをすすって、じっと画面を見ていたら、メールの終わりのマークがないことに気づいた。“下”に送ってもまだ出てこない。――口の中にカフェオレの甘さを残したまま、ひたすらカチカチカチと“下”を押し続けた。


――ほんとの冬の海はもっと寒いですよ。――


「あっ」

 僕は白い息を吐いていた。その先も少しメールは続いていて――僕はここでそれが読めてよかったと思った。ありがとう泉水さん、とつぶやいていた。



   *


 久しぶりに無印でちゃんとした封筒と便せんを買って、会社のこととか今年も大階段には大きなもみの木があるとか書いて、有名人のブログを印刷したやつとか、あと“浜辺の歌”で検索したらいろんな情報が出てきてそのページもとか、いろいろな紙を折り込んで、“こんなコトしかできなくてすみません。早く、良くなって下さい”と最後に書き足してきちきちに詰めた。駅に入る前に「速達で」と中央郵便局の時間外窓口に持って行ったらまだ中が開いているからそっちで、と言われ、もう一度中で「速達で」と言ったら50グラムを超えているのでこの封筒でも定形外扱いになるんで410円です、と言われた。




 自動ドアを出たら、ぶわりと寒気が流れこんできた。白いものが混ざってて、一歩踏み出して見上げると、右は伊勢丹から左は関電のビルまで、空気がまだら模様になっていた。空の色は、地上から照らされたシアーブルー。とても夜空には見えない。



 駅ビルの方から、エンヤの有名な曲が響いていた。泉水さんなら曲名を知っているだろう。――泉水さん。ふいに、名前が出てきた。立ち止まった。雨の日だったら傘をささない男を不思議がったろうけど、この雪なら、誰も気づかずに通り過ぎ、すれ違うだけで。



――泉水さん。雪です。


――泉水さん。速達たぶんあさってには届きます。



――泉水さん。





――会いたい、です。






 こんなにも誰かの、何かを願いながら、名前を呼ぶなんて、はじめてだった……。
 
 
 
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2008年01月06日

この道はつづく

 1月、派手な新年の飾りはほとんど外されていたが、まだ初もうで向けのタペストリーはあちこちに吊り下げられていて、わずかな風に揺れていた。
 今日から、泉水さんは会社に戻ってくる。年末、無事に退院できて、3が日はずっと実家にいたそうで――仕事始めから復活したかったんだけど、事後検診と部屋の掃除で無理でした、というメールを受け取っていた。

 0番ホームのいつものベンチに来た。左端から、すっと光が伸びている。目を細めて、ホームの時計を見たら、まだ8時前だった。泉水さんにメールを打っても、電車に乗っている頃だし、時間もある――カバンを置いて、自販機に向かった。

 そして、いつも通り茶色の缶を選ぼうとしたら――


「ロイヤルミルクティで!」


 まぶしくて、見えなかった。
 泉水さんが、顔がすこしやせてたけど、たしかに白いコート姿の泉水さんが――いた。

「おはよう、向井君、……私も早く目がさめちゃって、あの……」

 僕はホットのロイヤルミルクティを先に選んで、泉水さんに渡した。そして泉水さんがそれを受け取るとき――思わず泉水さんの頭をそっとなでてしまった。泉水さんは猫みたいに頭を引っこめた。きっと、目を丸くしていたと思う。それでも手ははなさなかった。

「この前はごめん。でも、ほんとに……よかった……」

 泉水さんは頭に乗せられていた手を自分でとった。ミルクティの缶の熱さが残っていた。そのままそっと、手のひらを握ってくれた。

「ありがとう」

 朝日に照らされた0番ホームは、ほんとにあの歌でいうような、“あした”の浜辺のようだった。


−終わり−
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