2013年01月27日

落書き帳における空白率とデジタル・ネットに解放した感動


 小説の設定(プロット)、日記、今日の買い物、落書きやイラスト。
 僕のノートは、一貫したテーマもなく、思いついたことを適当に書きつけている。
 昔の「自由帳」を読み返していると、書き方の違いを感じるようになった。
 まるで虫に食われたかのように、文章が断片的になり、空白が目立っているのだ。
 その「ノートにない部分」は、テキスト形式のデータで保存していたり、
 ホームページに書かれていたりしている。

 作業の環境も変わった。高校時代は、本を作るときにくらいしか、
 ワープロを叩かなかった。(漢字だって思うように出てきてくれなかったのだ!)
 今は、いつもの「落書きメモ帳」が手元になければ、迷わずテキストエディタで
 ちょこちょこと書く。仕事場でなら、自分宛にメールとして送っておいて、
 家に帰ってから印刷して、まさに「*カットアンドペースト」、メモ帳に
 ぺたりとはりつける。
 確かにかなりの文書が電子的(デジタル)に扱われ、保管されるように
 なってきた。僕の物書きの仕事だって、ノートパソコンを持ち歩けばすべて
 テキストファイルになるし、鉛筆を使わなくても*1バイトや2バイトの文字を
 組み合わせれば、情熱を伝えることが可能だ。
 しかし、本当に大事なことは、手で書かなければ覚えられないし、めまぐるしく
 変わる自分の意識を、いちいちハードディスクに書き込ませていては、
 *何G(なんギガ)あっても足りない。外部装置(*ハンディブレーンなど)を
 持つことが普通になり、データを自由に行き来させるようになったとしても、
「僕だけ」の感動はなくならないはずだ。「僕だけ」のおもいで、「僕だけ」が
 流せる涙、「僕だけ」ができること……。

「生きもの」だからできることは、この先も決して消えないから、
 あらゆる「デジタルへの変換」は、完全には進められないだろう。

 今日もたぶん、誰かがパソコンを買って、プロバイダと契約し、
 メールアドレスを獲得している。自分のことや仕事の話を、インターネットで
 作られた「電子の海」を経由して話し始めている。僕はあいかわらず、
「落書きメモ帳」にプロットを書いて、テキストエディタを動かしている。
 デジタルとアナログの交差点に、みんなが今立っている。
 いつかどちらにすべてが流れてしまう、ということでもなく、たくさんの人が
 ここを通りすぎてゆく。

#14/01/1999, 09/01/2000
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初心者のための用語解説:
*カットアンドペースト:
メモ帳やワープロソフト、メールソフトなどで、必要な範囲を選択・
切り取り(カット)し、その部分を別の場所に貼り付け(ペースト)
する作業を指す。ソフトによっては、画像やデータ部分も同様に
編集することができる。

*1バイトや2バイトの文字:
テキストデータの文字。半角文字は1バイト、全角文字は2バイトの
容量を持つ。漢字変換ソフト(ATOKやMS-IMEなど)は、2バイト分の
コードを組み合わせて、ひらがなや漢字を表示させている。

*何Gあっても:
G(ギガ)は容量の単位。フロッピーディスク1枚が約1M(メガ)で、
1Gは1000M。

*ハンディブレーン:
ウェアラブル・パソコンの一種。手に装着したミニパソコンと言った
ところだろうか。SF物語・ゲームでよく見かける。
タグ:1999 2000

2013年01月11日

時の女神の足音(2)

 はじめは、駄菓子屋で買った、パチものの懐中時計だった。五百円きっかりという時点で絶対おかしく、あせた金色のねじを巻けば”ぎゅるり、ぎゅるり”とひねくれた音がしぼり出される。しょうもない、とベッドに投げ置こうとしたら、窓の外の夕日がぐっと『上がって』ゆくのを見てしまった。西から東へ空は明るく――ニシカラヒガシヘ、ソラハ、アカルク?!――なんてこった!

『時間旅行者』になった。ただし”りゅうず”は右にしか巻けない。だからねじっただけ、過去を繰り返した。でも使い道を思いつくのに、数秒かからなかった――いや一分かかったってそれだけ「巻き戻せば」いいのだ、答案が配られてから昨日に「巻き戻れば」いいのだ、石につまづいたら道を選ぶ前まで「巻き戻ろう」じゃないか!

 試験は満点が取れるまで。
  他人の失敗を予言するために。
   マリン・ノートが似合うとわかるまで。
    憧れの先輩がと言えば全て俺を指すように。

 俺は、運命の女神を喚(よ)び続けた。
 完璧な人生を求めて。
「成功」だけを、約束した女神を――。


さあ女神よ、おとついまで、俺を連れて行け。時計を買った頃だ。学校で一年の可愛い娘(こ)とすれ違った。あいつがいちばん、俺を見ると顔を真っ赤にして、素直で、俺が好きらしい。俺も、あのけなげな姿にホレてるんだ。「また会ったね」と言ってから、また二日よけいに「生きなきゃ」ならなくても。何度やろうが、飽きない。

このところ、三階の教室までの階段がやけに辛くなってきた、が。制服の腹が苦しかったり、頭がやけに涼しい時もある――そんな小さな悩みも、あいつのほっぺたを見たら一発で吹き飛ぶ。最近は、あの顔にしゃぶりつきたいくらいだ。


 そう、このねじの音は、女神の足音。
 俺を導いてくれ、最高の青春の日々へと――!


 ”ぎゅるり、ぎゅるり”

タグ:2003

時の女神の足音(1)

  ふんわりとマリン・ノートの香り――影山サンが、目の前にいた。
「やあ。また会ったね」
 こんなに近くで! 影山サンの生声! それに顔! 眼鏡!! あたしはもう、パクパクと金魚になるしかなかった。


 そう、二日前にも。
 ホントに、心臓が口から、っていう気持ちをドキドキ知った。りんかくを追っているだけで、はああぁっとカラダがとろけてしまいそうな、銀縁の眼鏡。さらっと仕上げた髪に、マリン・ノートのコロン。ユミもミツヨも、3年じゃ影山サンがイチバンだって言ってて。その長身が、どうしてあんなところにすっと入って行くのか? 信じられなかった。『はた屋』には弟と、小学生の頃ちょくちょく行ってたけど……、駅前の大通りにはヨシノヤもマクドもできたのに……、影山サン! あああたし、これからあなたに会えるなら学校以外の場所でヒトリジメできるなら、何日でも何本でも『うまい棒』を買い続けます!!

でも、あの日は確か、電柱越しにはさんで見ただけなのに、それでも「また会ったね」ですって! ああなんて、視野の広い人? 周囲に気を配るっていうか! やっぱりあたし、修学旅行のおやつだって『はた屋』で買いこみます!


「影山サン」
「!」
 かなり大きく、3年の学年章が、ブレザーのえり元でゆれた。
「期末試験、全教科100点満点だったそうですね! おめでとうございます!」
「あ、ああ――」
 少しテレた感じで、彼は髪をかき上げる。ん? さわやかなにおいは同じだったけど、ほんのちょっとだけ、おでこが広くって、口元にしわが目立っている、ようにも見えた。あれっ、影山サンって、思ったより、フケて見えるっぽい人だったっけ?

 休み時間があんまり残ってなかったので、そこであたしはペコリと頭を下げて、ぱたぱたと走り去った。やったー、影山サンと話ができたーっ!!
タグ:2003

タイムトラベラー(時間旅行者)

  僕はもうずっと前から、自分は『運命の女神』がほほえんでくれる場所を持っていないことを知っていた。
 とくに頭がいいというわけでもない。男友達にも嫌がられるほど身の周りを不潔にしている覚えもない。でも、僕は人よりたぶん『運』がないことを知っていた。

 夕日が僕の影を前へ前へと押し伸ばしていた。今日だって本当は、もう少しこの影の短い頃にここを歩いて家に帰れたはずなのだ。
 放課後、当番で掃除をしていて、それほど精魂こめてやっていたわけでもないのに、先生には真面目そうにしていると思われて、じゃあ今日は窓枠の隅、そうだ、そのほこりの詰まっているところも頼むよ、と肩を叩かれてしまった。だから遅くなったのだ。
 こういうのを友達に言わせると、『要領が悪い』らしい。僕は真面目な高校生を演じているわけでもないのに、普通の、ごく普通の人間としか他人の目に映っていないことが、悔しかった。

 長く伸びた影を見つめて、そんなことを考えながら歩いていたら、後ろから車にクラクションでせかされた。道をゆずると、それは狭い道に似合わない黒塗りの車で、辺りに臭い息を吐き散らして前へ走り去った。ちょっと土埃が舞って、僕は立ち止まってせき込んだ。車の音が消えて、ふと顔を上げた時、視界の右のほうに――ちょうど右にも道があって――古そうな商店が現れた。
 曲がり角から覗いて見ても、腐りかけの木の看板が入り口の開いた扉のわきに立てかけてあるだけで、しかもその字も読めないし、『何屋さん』かは、はっきりとわからなかった。二、三歩進んでみると、店の外に、何か小物のような、がらくたみたいな、そんな物が積んであって、『駄菓子屋』みたいなものかもしれない、と思った。
 ポケットに手を入れると、大きい五百円玉がぶつかってきた。
 たまには寄り道をしてもいいか……と、僕はその店に向かって歩きだした。

 店の中は夕方のせいかうす暗く、中に何があるのかもわからなかった。でも、僕がこの店の敷居をまたいだ時、確かにしわがれたおじいさんの声が、
「いらっしゃい、何をおさがしかな?」
と響いた。僕は、『ここ、お菓子屋さんですか』と聞こうとしたら、おじいさんの声はさらに重なってこう響いた。
「何が欲しいのかな?『地位』か、『名声』か?それとも、『力』?『永遠の命』?」
「え……」
 僕は思わず驚きの声をあげていた。店の主人らしい、おじいさんが何を言いたいのかわからなかったからだ。でも、今、確かに『物』じゃない、どんな『もの』が欲しいのか、と言ったはずだ。……しばらく考えて、僕は試しに一つ聞いてみた。
「あの、後悔しないようにするものって、ありますか」
 おじいさんが冗談を言っているのなら、それに乗ってあげた感じで、軽く――叶うことなら叶えてほしい、ささやかな夢ではあったが――。
「あるとも。『やり直す』ものが」

 おじいさんはこう答えた。冗談を一緒に笑ってあげようと崩しかけていた僕の頬は張りつめた。唇が震えて、一度唾を飲み込んだ。まだ震えは止まらない。
「ほ、本当ですか」
「もちろん。おまえさんのいる右の棚の上に、赤いカゴが……」
 僕は足元にあったがらくたを蹴り飛ばしながら、半ば焦って赤いカゴを取った。
「そこに、時計が入っているだろう、それじゃよ」
 カゴの中には、柔らかい赤茶色の布でくるまれた、銀色の懐中時計ただ一つがあった。僕の腕時計と、同じ時間を指していて、正確に動いているようだった。
「その時計を持っていれば、持ち主は、そいつが指す『時間』通りに生きてゆける。
『時間』が狂ったのなら、『巻き戻す』ことだけできる。右側に付いた螺子を……」
 僕はほんの少し螺子を巻いた。周りの音が一瞬止まって、
「その時計を持っていれば、持ち主は、そいつが指す『時間』通りに生きてゆける。
『時間』が狂ったのなら、『巻き戻す』ことだけできる。右側に付いた螺子を……」
 おじいさんの声が繰り返し聞こえた。
「一分分巻けば一分、たくさん巻けばそれだけ『時間』を逆戻りできるから、『やり直し』のできるもの、というわけじゃ。どうかな?」
 僕はどうしてもこの時計を手に入れたくなってきた。いつもは見知らぬ人の意見なんかすぐに信用しないのに、このおじいさんの言うことなら……と思ったのだ。
「これ、ください。いくらですか」
「五百円に、まけておこう。ただし、」
 おじいさんはひと呼吸おいて、
「人生がつまらなくなるやもしれぬ」
と答えた。
 僕は五百円玉を左にあった木机に置いた。
「買います。運を、手に入れてみたいから」
「そうか、くくく……。『時間旅行者』の気分で、楽しんでおいで。くくく……」
 おじいさんは笑っていた。僕は時計を丁寧に包み直して、ありがとうと一言言って、店を後にした。

 掃除を頼まれて、そしておじいさんの『店』に寄っていたから、いつも帰る時間よりも三〇分ほど遅い時間を、銀の時計は指していた。僕は家に入る前に、時計の螺子を一時間巻き戻した。夕暮れの空は少し明るくなり、僕の時計も一時間戻っていた。
「あら、今日は早いのね」
 普段は「もう少し早く帰ってこれないの?」とか、「テスト、どうだったの?」といった、金切り声をあげる母さんが、妙に優しく話しかけてくる。やはり家の中の時計も、ついていたテレビ番組も、一時間前のものだった。
 僕は部屋に入って、扉を閉めてから、押え切れなくなって、大声で笑った。――これが五百円?! なんて安い買い物だろう?――
 そして、止まることなく刻み続けられる、時計の音を聴いているだけで、うきうきしてきた。
 もしかすると、僕はこれから、誰よりも……世界で一番……『運のいい』人間に生まれ変れるかもしれない……。

(やばい、次の数学は実力テストだってのに、全然勉強してないや。
いいや、問題を見てから『戻って』やり直せば、百点が取れる。)
 僕の時間旅行は、時計を手に入れた次の日から始まった。ちょっと自分に不利なことが起こったら、僕はすぐに時間を逆行して、それに遭わないようにしたり、あるいは別の人にそれを押し付けるように仕組んだりした。特にテストでは、ほとんど『二回問題を解いて』百点が取れるようになって、先生達も『秀才になった』僕が多少悪いことをしても、きつく注意をしなくなった。いや、できなくなった。三日ほど前に戻った時に、『三日後の予言』なんてことをして、学校にいるみんなが僕に恐れるようになってしまったからだ。
 誰も注意をしなくなったから、僕は何だってやった。無免許でバイクを乗り回したし、タバコも吸った。酒も飲んだ。競馬で稼いだ。そして、長い時間戻るようになっていた。一番気楽だと思って、『高校生』を何回も繰り返していた。
 友達も、文化祭も、テストも、全部同じだったけど、あの時のような暗い思いをして学校に通う気持ちはなくなっていたので、楽しんで日々を過ごした。
 ところが、何回目からだろうか、友達の視線が冷たくなっているのに気づいた。僕から話しかけなければ、近づいてこなくなった。話をしていても、いやな気分らしいということがすぐにわかった。我慢できなくなって、僕はある日、みんなに聞いた。
「どうして、オレを避けるのさ。オレと友達でいたら、絶対損はさせないぞ」
「……」
 みんなはざわつく。僕を取り囲むようにして、ひそひそ話をはじめる。僕は昔のような思いが急に胸の中でよみがえって、それを振り切るように、大声で叫んだ。
「いいかげんにしろよ!」

「……おかしいよ、」
 か細い女子の声が、僕の叫びで静まりかえった教室に響いた。ああ、あいつは、いつも学級委員を努めている娘だ。
「高校生に、見えないよ。雰囲気っていうか、あなたの周りが、私たちと違うものに包まれているような気がするの」
「え……」
 僕が『時間旅行者』だということは、誰も知らないはずだ……それを見透かされたような気がして、僕は机を蹴とばし、教室を出た。
 動悸が速くなっていた。頭に血がのぼってもいるようだ。ひとまず顔でも洗って自分を落ち着かせようと、手洗い場に向かった。
 蛇口をひねり、前髪をかき上げ、ふと前にある鏡をみた時、息が止まりそうになった。
 鏡の中には、僕によく似た、
『おじさん』が『僕』を見つめていたからだ……。

 何がどうなってしまったんだろう。
 僕はそのまま、学校を飛び出して、あの店へと走った。
 僕の姿は、中年のおじさんに変わっていた。外見だけではなく、走っていても息がすぐ切れて、歩かなければならないくらいに体力も落ちていた。
 かなり疲れたけれど、店に入って、肩で息をしながら、僕は真っ先におじいさんを呼んだ。
「じいさん、じいさん! いるんだろ?! オレだよ、『ずっと前に』時計を買った!」
「ああ『おととい』来た、おまえさんか。くくく……」
 おじいさんは笑っている。僕はいらつきを覚えて、ポケットから時計を引き出して、話を続けた。
「この時計、不良品じゃないのか?!」
「くくく……人間は、いつかは老いて死ぬからなぁ」
「そんなもん、誰だって知ってる! どうしてオレの体や顔が、老けてしまったのかを聞いてるんだよ!」
 おじいさんは一呼吸おいて、言葉を返した。
「それじゃ、聞くまでもないだろう? 時間を戻り、やり直すとはいっても、おまえさんの体は一つしかない。同じ時間を繰り返し生きれば、人の二倍の人生を過ごしたことになるから、それだけ老いるということだ」
「あ……」
 何回も何回も高校生として生きていた僕は、確かに『おじさん』になるし、周りから見れば『おかしい』。そのうえ、この先の僕の人生も、他の、いや『普通の』高校生たちより短いものになる……。それに気付いて、僕は一気に怒っていた力が抜けて、右の木棚に倒れるようにもたれかかった。湿った本のような臭いが鼻先をかすめる。
 おじいさんの声はだんだん強く僕に降りかかってくる。
「わしは最初に『人生がつまならくなるかも』、と言ったはずだ。おまえさんはその時計を買った者としての、一つの『ルール』を守っていなかった。だから、今おまえさんは後悔しているだろう?」
 僕は震えた頭を一度、縦にゆっくり振った。

 僕は過ぎ去った過去を荒らして、今をより良くしようと時間旅行を続けてしまっていた。『やり直す』ことと、『作り替える』ことを、同じにしてしまっていたのではないだろうか。でもこれから、どうすればいいのだろう。
 時計をたくさん回して、赤ん坊の時代に戻ろうか。いや、この身体ではとうてい両親に受け入れてもらえはしないだろう。……ポケットには一万円札が何枚か入っていた。僕はそれを一枚引き出して、最後の可能性に賭けようとした。
「ここには、何でもあるって、言ったよな……。たった一度きりの、人生ってあるのかい……?」
「くくく……」
 おじいさんは笑って、一蹴した。
「残念ながら、それは置いてないな。おまえさんが生きている今までとこれからがたった一度の人生だからな。わざわざ持っているものを用意する必要もないだろう、くく……」

 僕は座りこみ、札を握っていた手を叩きつけた。『幸運の女神』は、とっくの昔に、逃げ出してしまっていたようだった。
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2008年08月16日

第5話:最後の太陽

誰かがリクエストをかけたらしく、季節にぴったりの『ひまわり娘』(*)が、昼下がりの空に響いた。ゆるやかな風が、日を照らし返す葉をくすぐる。そして、花にも。
−−そう、”向日葵”にも。花壇のそれらは、今まさに太陽に向かって開いていた。

おせじにも太い首や、大きな手のひら、とまではいかなかったけれども−−花なんてここ数年咲いたこともなかった”ひまわり台”に、たしかに、たしかに、しっかりと黄色が生まれていた−−。


にのべ駅長は、周りに水を打ちながら、じゅわりと立ちのぼるしんきろう(蜃気楼)に目をやった。ここまでは毎年同じことなのだが、ゆらいだ空気の向こうに、あざやかに並ぶ向日葵がとてもまぶしいところは違った。根づかないだろうとあきらめていた春が、なつかしい。


ここ数日、駅の中がちょっとさわがしいことも違った。待合場所の壁一面に、保育園の子供が描いた、駅舎やら電車やら、ヒマワリやらの画用紙が貼りめぐらされていた。お世話になりましたありがとうございましたと、お礼のお菓子を持ってくるおばちゃんもいて、テーブルとポットを置いてみんなで食べてもらえるようにした。入場券を買いに来る人も多くて、たくさんの固い板紙に切りこみを入れた(*)。

でも、電車に乗り降りする人の数までは変わらず、ここも21時頃にもなれば、ひっそりと静まるのだった。
疲れたあごを伸ばした。あんまり考えたくなかったけど−−この駅が、あと何日で終わりだとかを思うと、何度も鍵をかけたか見に行こうとしてしまった。


西の経済を支える、有数の大都市『オオサカセンター』。コクテツ電気鉄道株式会社が敷設した各駅停車で約40分、『ひまわり台』はここからたくさんの人々を送り迎えした。

ところが約20年前、『ひまわり台』の奥手にある森と山が削られ、大型団地が次々と建ち並びだした。コクテツ社も他の私鉄各社と同様に、『ニュータウン』駅を開業。さらに、『ひまわり台』に停車しない快速電車や、『ひまわり台』を経由しない線路を引いて『超新快速』を運転した。『オオサカセンター』まで約30分。魅力的な街に、大型のショッピング・センターも続々誕生した。この頃から、『ひまわり台』との人口バランスは逆転をはじめる。

『ひまわり台』周辺の住民ですら、自転車やバイクで『ニュータウン』やひとつ東側の『桜丘』駅から通勤するようになってしまった。『ひまわり台』の人気の減り方をあらわすかのように、花壇の花は、いつの間にかすべて枯れ無くなってしまった。

そして、今年の春。コクテツ社は、『ひまわり台』の閉業を決めたのである。


ずっと『ひまわり台駅』に勤め続けた「にのべ駅長」は、誕生日までのしばらくだけ、ニュータウン駅の相談役として窓際の席に座る。無遅刻無欠席を表彰する、ピカピカの金バッチをもらったけれど、まだ胸にはつけていない。

クリーニング屋のおっちゃんが、明日着る制服を届けに来てくれた。向日葵たちが笑って迎え、手を振って見送った。とろとろと軽ワゴン車が行ったあと、にのべ駅長はふうと、いっしょに過ごしてきた壁にもたれてみた。

               *  *  *

その日は、電車好きなおじさんたちが、カメラと三脚を持って続々と駅舎に乗り込んできた。ホームにがちゃりとそれを組み立てて、ガタゴト入ってくる電車をバシャバシャと撮り始める。

「−−んあ?」
明け方の空が夏らしい色に変わり、朝の仕事を一通り済ませてから水まきをしようと花壇に向かったにのべ駅長は、「こども」たちが倍々に増えていることに気づいた。

駅に来る人来る人がその”花”を持っているのだ。電車に乗らないでも、ひまわり台駅を通りかかる人が一つ、また一つと、向日葵を捧げてゆく。
やがて、駅の入り口をうめつくし、ホームにもプランターが置かれた。ここに屋根があったなら、ほんとうに花のトンネルも作られたかもしれないくらいだった。花のにおいが、セミがじりじり鳴く時間ととけあっていった。

「まさかこんなんになるとは−−ヒマワリだらけや」
 強い日ざしすらも、やわらかく駅舎に届く。駄菓子屋のおばちゃんがお茶を入れてくれた。
「みんな、こっそり育てとったみたいやねぇ。『ニュータウン』の改札前でも、種を配ってたて、娘が言うとったわ」
「なんと、……、」
 にのべ駅長は、せんべいが詰まりそうになって、その先を言えなかった。


駅舎の窓枠が甘いオレンジ色にとろり溶けてゆく。
ニュータウン駅と桜丘駅からやってくるイチマルサン系電車は、『ありがとうひまわり台駅』というヘッドマーク(*)をかけて、黄色い笑顔の絶えない駅に入ってくる。
ブレーキの音が、風に刻まれる。

ひまわり台駅は、いま。
あでやかに向日葵をまとう本当の景色を、取り戻した。

               *  *  *

 21時35分。
ニュータウン駅からぴたり30秒と早くも遅くもなく電車が到着した。にのべ駅長の手は、変わることなく−−『最終電車』を、見送った。

 駅長室に戻り、日誌を書いてから、すっかり古くなった椅子にぎしりと身体をまかせた。駅のシャッターを下ろすまであと何分か、を壁の時計で毎日繰り返してきたけど、それも、今日で最後。−−ほんま、よう喋った。ばたばたしとったの−−にのべ駅長は、まどろみそうになって、ゆっくりまばたきをした。


妙ににのべ駅長は顔がつるつるするなと思った。きびすを返すとその足もかろやかで−−あれぇまだこんなに明るかったんかぁ、とつぶやいた声も若々しくはじいてくる。

ホームでは学生や会社員が何人も、まっさらなベンチに座ったりして、イチマルゴ系の電車が来るのを待っている。真っ白な待避線を踏んで遊ぶ子には、あぶないあぶないぞと旗を出す。

こぼれ落ちそうなほどの人と、おはようおはようとあいさつをきりなくしていたら−−朝もやの中から赤いラインの目立つイチマルゴ系が見えて来た。−−あれぇ、なんで朝やねん? それにイチマルゴなんか、今ないぞ?

ああこれは、もうだいぶ前のことを−−思い出してしもてるんや夢見とるみたいに。まだヒマワリもようけ咲いとるし、駅員のタッちゃんもいる。売店のヒロミさんは牛乳ビンを運んどる。−−なつかしいなあ、ほんまなつかしいなあ。


あっという間、やったなあ。
おもろかったなあ。
ああ、待っといてや、イチマルゴ。
もうちょっとだけ、もうちょっとだけ、とまっていてくれい。

停車してくれい。


……時間、止めたってくれい。……



急に、乗客の笑い声がとり巻いてきた。
おっちゃん? 駅長さん? どないしたん?−−のぞきこむ女の子がいる。
ああ大丈夫やで、気いつけて。ホームから落ちんようにして−−と口をぱくぱくさせるけど、ざわめきしか聞こえない。
それは風になり、足もとの雑草を揺らし、−−黄色になった−−。


変な夢はもうすぐ終わって、目が覚めるのだ、とにのべ駅長は感じた。
いや、あかん、まだ職務中や!
はっとして、靴をはき直す。

”ガトン”

はたして、たてつけのすっかり悪くなったガラス戸を押すと、待合場所のほうで2つ3つの人影がゆらいだ。
肩で息をするコクテツ社の制服が近づくと、影たちは向きを変えた。どこかで見たことがあるような、無いような。数え切れない人々をここで送り出し迎え入れてきたから今までずっと。
「あの、駅を閉めますので、すみませんがお客様は−−」と口を開こうとしたら、一番手前にいた女の人が、小さな箱を渡そうとする。

「駅長さん。おつかれさま。ありがとう。−−これ、ラジオをきいてくれたみんなから−−」
「−−は、ハガキ?」
「入り口のヒマワリがな、”満開のとこ見たい”て、あたし言うてたの覚えてへんかなぁ?」

次にコツリと固い音がして、じゃらじゃらとキーホルダーがいっぱいついたピンク色のハンドバックが−−そんなカバンを持った人が近づいてきた。

「駅長さん雨の時はたすかったわ。−−でもこんなええ”いやし”の場所があるんやったら、もっと何べんでも来てたらよかったわぁ」

そして、たくさんの絵を見ていた若い男女は、深々と頭を下げた。
「駅が無くなるまでに、ここを見といてもらいたい思て、連れてきました。−−今度、結婚するんです」

「あ、ああー……
 わざわざ遅くまで、ありがとうございます−−でも、そろそろ、閉めやんとあかんのですわ−−」

さっきの夢のせいで、口元がふらついていた。
昼間、せんべいといっしょに引っかけた言葉の続き−−駅のこと、人のこと、ごたごたしたこと−−自分のこと。
ちょうど、あの奥にある並んだヒマワリの、左から3つ目、うつむきかげんのものと気分が似ている。それをブチリと抜いてしまえば、それともこちらに無理矢理ねじれば、すっきりするかもしれないと、言葉を開こうとした。

よく見れば、右から2番目のやつも、斜め上にそっぽを向いている。となりもそのまた横も、あちこちバラバラ。−−まっすぐ見ていてくれているものなんて、ほとんど無かった−−口がうまく動かせない。

でも、花はちゃんと咲いているのだった。
たまたまここへ持ち寄られるまでにも、どこかで、きれいに、素敵に、咲いていたはず。

にのべ駅長は、ぐるりと向日葵を−−ひとりひとりの「客」のひとみをじっと見て−−、制帽をかぶり直した。
顔をくしゃりと曲げて、この駅のことを覚えていてくれた、また来てくれたひとびとへの気持ちも、嘘をつかずにはっきり、言った。


「みなさん、−−ありがとう−−」


花びらが、わずかな風に、少し動いた。


               *  *  *


翌朝から、コクテツは時間という有利な武器を手にした。

ラッシュ時には10分間隔で超新快速がニュータウン駅を出て、ひまわり台駅からの電車を待ち合わせなくてもよくなった桜丘駅を時速100キロで通過する−−オオサカセンター駅まで、25分あまり。それはどの他社路線よりも、抜き出た速さだった。

たくさんの通勤通学客が、朝の風にしまる鉄筋のニュータウン駅から、今日を始める場所へゆくためニイニイサン系の車体に乗り込む。

どんどん加速する窓辺の風景。
いつからか−−南側の遠くに、毎年夏場になると。
満面に咲き乱れる向日葵の色が、弾丸になろうとする車内からでもはっきり見えるようになった。


かつてそこには。
ひまわり台という、駅があった。



                          <終わり>


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(*)の解説
・『ひまわり娘』:伊藤咲子『ひまわり娘』。作詞:阿久 悠/作曲:Shuki Levy。
・固い紙に切り込みを入れる:ちょっと前の切符は、こんな感じで売ってた。券売機
で買って鋏を入れてもらう→はんこ押してもらう→自動改札機。
・ヘッドマーク:電車の先頭に取り付けるプレート。新型電車の運転開始時・沿線駅
の開業/閉業時、鉄道会社主催イベントの宣伝などを告知するために使う。

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